政治地理研究部会 第26回、地理思想研究部会 第130回合同研究会報告

帝国日本のリミナリティ
―植民地台湾と沖縄系移民

開催日 2018年11月24日(日)
※人文地理学会大会部会アワーとして開催
会場 奈良大学
〒631-8502 奈良市山陵町1500

<発表者>
松田 ヒロ子(神戸学院大学)

近年,映画などにおいて植民地台湾への移民や同地からの引揚げに対する関心が高まっている。その中で,沖縄県出身の移民は,量的に目立っていたわけではないものの,琉球列島の近代史やモダニティ,あるいは日本帝国主義の本質について多くの示唆を与えうる側面を持つ。最初に示した台湾・基隆にある「琉球漁民慰霊碑」は,台湾の記憶の中でも,琉球系の移民がユニークな存在であったことの証左でもある。

19世紀末からの沖縄県より台湾への移動者を捉える上では,往時の沖縄県の状況だけでなく,それと台湾での開発とを複眼的に見据え,日本の植民地帝国化における両者の位置を見定めることが不可欠である。琉球列島は,国家の「辺境」として開発の舞台となったが,台湾の植民地化以降,その主眼はむしろ後者へとシフトしていく。人口移動の背景には,沖縄県の厳しい経済状況に対して,近接する台湾が発展をとげるという,植民地帝国内でのポジションの変化があった。

植民地台湾における沖縄県出身者は,同県から他地域への出移民よりも少ないとはいえ,以下の三つの点で特に着目する意義が大きい。第一に,琉球列島のモダニティを相対化するという点がある。従来の研究において,沖縄県の社会経済的状況は日本というネーションの枠組みにおいて捉えられてきた。しかし,植民地帝国という観点からは,ネーションの「辺境」とは異なる部分が見えてくるのである。例えば沖縄県における近代医療の発展について,同県では得られなかった医師になるための教育機会を提供したのが植民地台湾であった。同地で教育を受けた医師が戦後琉球列島の医療に大きな役割を果たしたという事実は,単に沖縄県での教育機会の乏しさという評価に対し,沖縄県出身者が植民地帝国における沖縄県・台湾のポジションを主体的に利用していた側面を示唆する。あるいは同化という点でも,植民地台湾での経験はネーション内でのそれとは異なる部分が認められる。移民先である植民地台湾において,日本の「内地」出身者との習慣・言語の違いを経験した人々が,生き抜く上で「日本人」になっていくという諸実践は,被支配者である台湾人との境界形成にも寄与していた。加えて,沖縄の地上戦を直接経験しなかった台湾への移動者(疎開者を含む)の中からは,戦後の琉球列島でリーダー的役割を果たす者も現れた。台湾での経験は戦後琉球列島において明示的に語られてきたわけではないが,植民地下の台湾で,沖縄県出身者がある側面では日本人としての特権を享受しつつ,それが戦後琉球列島の建設に寄与したという事実を見逃すことはできない。

第二に,近代における沖縄県からの出移民を再考するという点が挙げられる。台湾への出移民は,「内地」や他の海外地域とは異なり,公的な斡旋によるものではなかったという特徴がある。そのため,出身地や職業階層は多様で,移住経路も主として親族などのネットワークに依拠していた。この多様性は,植民地下の台湾で,エスニック・コミュニティの形成が不活発であったことにも帰結している。だが,戦後の引揚げがその機会を提供した。というのは,米軍政下の沖縄へ帰還できないという事態が,それまで日本人という自覚を有していた沖縄県出身者に対し,日本「内地」出身者との差異が現前化したからである。つまり,引揚げが,沖縄県出身者であることの意識化,あるいはエスニック・アイデンティティ再形成の機会となった。

第三に,国境や越境を再考するという点がある。小熊英二氏の『日本人の境界』では,言説が「日本人」の境界を構築する諸相が描き出されている。しかし,発表者としては,言説の位相にとどまらず,こうした境界形成の過程で人々の実践がいかに重要な役割を果たしたかを強調したい。そのための拠り所としたのが,その諸相を解き明かす上でよりどころとしたのが,以下に示すリミナリティの概念である。

従来の植民地史研究では,宗主国―植民地が二項対立的に把握され,またその境界が固定的なものとみなされてきた。リミナリティは,こうした二項対立を超えた,宗主国―植民地間の輻輳的な性質を指し示す上で用いられつつある。ただし,発表者がこの語を用いる意図は,境界の曖昧性の指摘にとどまらない。リミナリティという状況下で境界がつくられる具体的過程の描出が,植民地帝国の支配メカニズムの解明に至るというねらいがある。沖縄からの出移民に関していえば,従来は「二級臣民」という捉え方がなされてきたが,台湾への移動者の経験はそこには収まらない。本発表で示したように,リミナリティが生まれる過程における人々の経験を通じた境界の具現化が,日本の帝国主義のリアリティを現出させている。加えて,日本の場合,リミナリティをめぐる状況が,たとえば沖縄と台湾というように,宗主国―植民地間の地理的近接性にも多分に関連していることも注目される。


<コメント>
山﨑 孝史(大阪市立大学)

自身,政治地理学の立場から,沖縄を対象とした研究,またボーダーを対象とした研究を続けてきた。その中で,八重山地方,ないし先島諸島については,教科書問題や尖閣諸島問題を含め関心を持っている。自身の関心もふまえ,二点ほどコメント・質問をしたい。

一点目として,ご発表の中では先島からの人の移動というのがカギになるのだろうと思う。発表でも言及された屋良朝苗は,台湾からの帰還者ということで良く言わない人もいるが,しかしリーダーを務められたのは本島出身者だったという背景もあるのではないか。つまり,引揚げの経験も含め,本島と先島という,沖縄県内のミクロスケールのリミナリティというのはどのように捉えられるのか。

二点目として,国境と越境を再考させる諸相について,この特徴は琉球列島と台湾の間だけでなく,台湾と大陸中国,済州島と大阪,あるいは釜山と対馬の関係など,東アジアの島嶼部分でも似た状況が存在していたのではないか。日本をめぐるリミナリティの研究では,これらの地理的近接性について,ヨーロッパのボーダースタディーズにはない,海の島をつなぐネットワークという部分がより強く意識されるという方向性もあろう。近接性に加え(ヨーロッパとの対比では)海洋という部分が,日本に関わるリミナリティの一つの特徴を構成しているのかもしれない。


<討論のまとめ>
まず,コメントに対する松田氏からのリプライがあった。第一の点について,八重山や宮古の人が自身のことを沖縄人とは言わない背景に,本島との階層性ないし権力関係があることは指摘の通りであり,また本島のような地上戦が経験されたわけではないという点もある。いわゆる沖縄県の歴史というのは本島のそれであるともいえるが,戦後の琉球列島内部での人の移動もあり,一概に一般化しにくい部分もあると回答された。第二の,東シナ海の島嶼という位置づけに関して,そのような比較研究の意義は大きく,特に英・仏を中心とする植民地史で,遠隔の植民地との境界が論じられてきたという経緯からして,重要な研究観点になりうることが示唆された。その際,ロシア帝国主義のリミナリティとの比較研究の必要性にも言及された。

事実確認の質疑として,台湾での石垣島出身者の職業(特に女性)について,その就業先のエスニシティに関する質問や,医師養成に絡んで沖縄県の教習所が閉鎖された理由などが尋ねられた。

他地域の人口移動との関連では,特に奄美出身者との対比を念頭においた質問があった。具体的には,年によっては数千人規模で台湾へ渡った奄美出身者と沖縄出身者との関係や,奄美出身者でみられた(専門職を中心とする)郷友会が,たとえば職場においてみられたかといった質問が出された。これらに対しては,戦前の台湾で沖縄・奄美というカテゴリーが現在のような形で存在していたかは疑問である,また,沖縄県出身者の間でも八重山会といった郷友会があったり,インフォーマルなレベルでは郷友会的な集いが様々な職場に存在していたことが回答された。

以上のほか,本発表の骨子であるリミナリティという概念について,元々のターナーの人類学的な文脈での議論に対し,それを宗主国―植民地の境界の分析に敷衍することの意味,換言すれば異なるコンテクストへ入れ込むことで本来の概念がどう生きてくるかという点にも質問が寄せられた。加えて,台湾生まれの2世・3世の役割に注目する必要性についても指摘があった。この点に関しては,発表者から,特に台湾で女学校といった高いレベルの教育を受けた女性の存在,とりわけ彼女らが公的な記録には必ずしも明瞭に出てこない中で果たした役割についての展望が示された。

総じて,今回の部会では,社会学と地理学の境界(リミナリティ,ボーダー)に関わる議論を経て,日本の植民地主義の特質を論じる上で,地理的近接性や海洋といった地理的なパースペクティブの持つ可能性が拓かれた。大変大きな意義があったことを記しておく。
(参加者37名,司会・記録:福本 拓)