2009年度修士論文・卒業論文

修士論文

林 修平(はやし しゅうへい)

米軍統治下の沖縄における基地跡地利用―コザ解放地を事例に

論文(pdf 7.0MB)

 このたび、山崎先生をはじめ多くの方々のご指導・ご協力をいただき、なんとか修士論文の提出までこぎ着けることができました。ご承知のように、大学院修士課程は通常2年で修了となるわけですが、私は修了までに4年の歳月を費やしました。なにか大がかりな調査を実施したために年限を延長した…といった理由があれば話は別なのですが、私の場合、論文のテーマと自身の将来を見極められないまま、いたずらに時間を消費してしまった結果であり、大変お恥ずかしい限りです。
 卒論や修論の執筆にあたっての最重要課題は何かと考えてみると、これは言うまでもなくテーマの決定でしょう。テーマが決まれば、半分書けたといっても過言ではないかもしれません。ですから、テーマが決まらないのであれば、早急に指導教員に相談することが肝要です。私は修士論文で、本土復帰以前の沖縄における米軍基地の跡地利用について取り上げましたが、このテーマは山崎先生からお薦めいただいたものです。修士論文に取り組んで改めて気づかされたのは、こういった非常に基本的なことでした。もちろん、私のようにだらしない結果(修論を提出できたとは言え…)になってしまう学生さんは、まずいないでしょう。ここで書いたようなことも、基本的すぎて参考にならないかもしれませんが、このような失敗事例の教訓(?)も活かして、よりよい卒論・修論を執筆していただければと思います。
 末筆ではありますが、改めて山崎先生に御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

私からの一言:悩みを抱えて長年論文に取り組めずにいる人はいます。それでも書き切ったということは誇ってよいと思います。一人で悩み続けるよりも誰かに相談することも大事ですね。指導教員はそれが仕事でもあります。まだまだこれからの人生です。これを糧にさらなる飛躍をお祈りします。

 

卒業論文

上甲 満洋(じょうこう みちひろ)

沖縄県那覇市の中心市街地における通りの変容―沖映・浮島・桜坂・桜坂中通りを事例として

論文(pdf 1.9MB)

 一つの論文を書き上げることがこれほど大変だということが今になってようやくわかった気がします。特に論文のテーマ設定には苦労しました。それでも自分の身近な地域ではなく、これまでに自分が行ったこともない場所を調査地に選んだことは調査を楽しく行うことができる一つのプラスの要素となったと思います。
 反省点としてはこの論文に現地での調査をうまく反映させることができなかった点です。しかし、この経験をこれからにうまく生かしていきたいと思います。
 今回、現地調査にご協力くださったインフォーマントの方々、そして山崎先生には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

私からの一言:大阪から離れたフィールドで調査するのは簡単でなかったと思いますが、敢えて見知らぬ土地を選んだ点は評価できます。那覇市は十分な工業化の進展なしに人口が過剰に集中するなかで、都市再開発が急速に進んでいます。どういう枠組みで変容していく通りを見るのかと、その枠組みからどの通りを中心に調査するかを、もう少し絞り込んでも良かったでしょうね。

2008年度卒業論文

辻野 菜穂(つじの なほ)

沖縄県沖縄市旧コザ地区における「基地の街の記憶」と地域解釈

論文(pdf)

 実習で行った沖縄市が好きになったから、という単純な理由で調査地をコザにした為に最後の最後までテーマが煮えきらず、調査・執筆ともに苦労しました。最終的には聞き取り内容からテーマを絞っていったような形になってしまいましたが、結果として自分が最も興味があった事を卒論に出来たのではないかと感じています。
 聞き取り調査に関しては、統治の記憶がはっきりと残る街で当時の話を聞くというのは大変デリケートで、時にはまったくインタビューに応じて貰えない日もあり、へこたれそうになった事もありますが、インフォーマントの方々やコザの人々の暖かさ、そして先生の励ましやご指導に支えられ、なんとか終える事ができました。
 インフォーマントの方々、コザで出会った沢山の方々、そして実習を入れると2年に渡ってたくさんのご指導を頂いた山崎先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。

私からの一言:基地のある場所と記憶というテーマはなかなか論文として扱いにくいテーマだったと思います。しかし何度も沖縄に足を運んでインフォーマントの話を粘り強く聞き取った内容から、その一端を明らかにできたのではと思います。

2007年度卒業論文

北岡 弘康(きたおか ひろやす)

市町村名の定着―湯布院・上越・美方という3地域の事例を通して

論文(pdf)

 今になって漸く卒論が終わったという実感が湧いてくるようになりました。
 もともとこの論文は、もともと興味のあった市町村名で何かできないかというところから始まりました。しかし、いざ卒論構成段階になるとなかなか難しく、「興味がある」ということが逆に客観的に市町村名について考察する妨げにもなりました。また私の場合公務員試験で夏が終わるまでなかなか身動きが取れず苦しい思いをしました。そんな中で、山崎先生から様々なアドバイスを頂きとても心強く思いました。そして、実際フィールドワークの段階では、不慣れな私に多くの人々が親切に応対して頂きました。実に沢山の人々に支えられての論文だったと思います。
 論文自体は、まだまだ不十分なものです。しかし、これからは「一つ論文を書いた。」ということを人生経験のひとつとして己の中に取り込んでいきたいです。

私からの一言:地名の問題は哲学的な内容を含むだけに、考察の対象とすべき要素を切り分けて論ずることが難しいのですが、短い時間ながら三つの地域で調査することによって主張に説得力がでました。

田立 あゆみ(ただち あゆみ)

聖地の観光化―沖縄県久高島を事例に

論文(pdf)

 卒論を執筆するにあたり、テーマを設定するのが本当に難しかったです。
「どうせ調査するなら遠くが良い」という非常に曖昧な考えから調査地域を絞り、そこで自分の関心のあることを探りました。結果的には、非常に興味を持って調査に取り組めたので良かったですが、テーマの決定は早いに越したことはないと痛感しました。
 実際に卒論を執筆するに当たっては、聞き取り結果から自分の主張したい結論に繋がる内容のみを抽出していく作業に苦労しました。また、インフォーマントの方々の主観を、客観的に見るということも、非常にエネルギーのいるものでした。
 卒論執筆を振り返ると、自分の力不足に何度も悩まされましたが、部活と両立して何とか書き上げることができたことは、少しは自信に繋がりました。
 最後に、現地でお話を聞かせていただいたインフォーマントの皆様、テーマ設定時から提出間際まで熱心に指導して下さった山崎先生に、心からお礼を申し上げたいです。ありがとうございました。

私からの一言:久高島に二度も出かけた力作です。担い手を失いつつある宗教儀礼を観光化へとどう結びつけるか、あるいは結びつけないかをめぐる「聖地」の葛藤が聞き取りから浮かび上がっています。

西村 翠(にしむら みどり)

「沖縄移住ブーム」の成り立ちと現状―石垣島を事例として

論文(pdf)

 卒論のテーマを漠然と「沖縄移住」にしようと決めたものの、具体的に論点を絞ることがなかなかできませんでした。ひとつの事象をテーマとしてとりあげるといっても、視点を変えればさまざまな見方ができるということを知りました。
 石垣島での現地調査では準備不足で十分に調査しきれなかった点が反省点ですが、聞き取り調査を通じて資料や書籍からだけでは見えてこなかった実際の移住者の生の声を聞くことができたのは論文執筆に当たってとても参考になりました。移住者一人ひとりの話を通じてその人の考え方や生き方まで垣間見ることができたのも大変興味深かったです。
 快くインタビューに応じてくださった方々、ご指導してくださった山崎先生、本当にありがとうございました。

私からの一言:調査に向けての問題設定はスムーズに行ったのですが、遠方である分インフォーマントの属性に応じた聞き取りの戦略の立て方が難しかったですね。しかし、先行文献をもとに、沖縄本島から先島への観光ブームの推移を移住の指向と結びつけるなど、説得力のある論述が展開できましたね。

2006年度卒業論文

豊島 早苗(とよしま さなえ)

震災モニュメントと記憶

論文(pdf)

 卒論の作成にあたり、まずテーマを考えるのが大変でした。何が地理学なのかを考えていると、何を調べたらいいのかわからなくなってしまいました。今、振り返ると、難しく考えずに、自分が興味のあることを調べるのが良かったんだろうなあと思います。
 聞き取り調査は本当に大変でした。それでも、たくさんの方々にいろいろな話が聞けて、本当に良かったです。貴重な体験ができました。20,000字と聞いた時には書けないと思いましたが、書いてみると書けたことに驚きでした。まして、文字数を減らすことに苦労することになろうとは、思いも寄りませんでした。
 お話を聞かせてくださった方々、ご指導くださった山崎先生、本当にありがとうございました。

私からの一言:地理学として取り付きやすそうで、取り付きにくいテーマに果敢に取り組んだ力作です。とことんまで聞き取っていくという姿勢で臨んだ分、迫力のある論文になりましたね。

2004年度卒業論文

川崎 那恵(かわさき ともえ)

「地域」と記憶―新潟水俣病をめぐる運動の可能性

論文

 全学共通教育で公害問題を学んだことをきっかけに、2003年3月新潟水俣病の現地を訪れる機会がありました。そこで出会った人々と継続的に交流させて頂く中で、新潟水俣病のことをテーマになにか書いてみたいと思うようになりました。
 論文をまとめるにあたって、常に頭の中にあった問題意識は、新潟水俣病を伝えるためにはどうしたらよいのかということ、安田町の運動スタイルをその他の社会運動にも応用できるのではないだろうか、応用できるとしたらそれはどのような点なのかということです。後者の点については、今後、運動に参加する人々へのインタビューを行うなどして、より多角的に安田町の運動をとらえることで、さらに深く掘り下げてみたいです。
 本格的な論文というものを初めて書きましたが、論文は論理的に説得的にきちんと証拠を示して書かなければならないという点で、それまで書いてきたレポートとは全く違い、とても苦労しました。しかしながら、なんとか卒論というかたちで残せたことでこのようにHP上に掲載して頂き、一人でも多くの人たちに新潟水俣病のことを伝える機会を得られたことを大変嬉しく思っています。
 現地新潟でお世話になった皆さん、ご指導してくださった山崎先生、本当にありがとうございました。

私からの一言:(ポスト)社会運動における「地域」の意味という難しいテーマで、新潟から北海道まで関係者を追っかけていったエネルギーは賞賛もの。地理らしくないといわれるかもしれませんが、そんなことはこの論文にとって重要なことではありませんね。

佐藤 聡(さとう あきら)

新聞記事における新世界について

論文

 正直なところ、この卒論を完成できるとは思ってもいませんでした。というのも、作成の作業に本格的に取り掛かったのが11月くらいだったからです。また、集めた資料を整理し、実際に文章を書き始めたのは提出日の10日ほど前ということで、書き上げることができたが不思議なくらいです。このような短期間で作成したため、内容はかなり薄いものとなってしまいました。もっと早くに取り掛かっていればと強く感じているところです。なにはともあれ、無事に提出することができて本当によかったと思います。

私からの一言:ご反省の弁の通り、もっと分析できて面白い結果を出せたはず。卒論執筆での経験をお仕事にも活かしていただければと思います。

日野 智予(ひの ちよ)

幼い子を抱えた新規移民によるエスニックネットワークと近隣ネットワークの利用―カナダ・トロント、South Parkdale地区の事例

論文

 卒論執筆前年度にボランティアとして関わっていた子育て支援施設の利用者や運営者との交流する中で、移住間もない移民が新しい土地で幼い子を育てる際、元来子育てが抱える問題に加え、言葉の壁や文化の違いから新たな問題を抱えたり、問題解決自体が難しくなる可能性があるのではないかと考えました。そこで、彼らの居住地域においてどのようなサポートやサービスが提供されているのか、またそれらのサービスやサポートに彼らがアクセスする場合、近隣ネットワークとエスニックネットワークのどちらを利用しているのかを明らかにしようと試みました。
 執筆に当たっては、気付いたことや考えたことを逐一書き溜めておいたものの、それらをどのようにつなげていくかということがなかなか定まらず、提出直前まで放置していたために、満足のいくできとはほど遠いものになってしまいました。しかし、ボランティアとして関わっていた時に漠然と感じていたことや聞いたことを資料を通して裏付けることが出来たり、調査を通して、移民の方々それぞれの生き様や価値観を伺うことができたことは、とても興味深く、自分としては得るものが多い研究でした。
 山崎先生は現在子育て、奥様にとっては異文化の中での子育て真っ最中でいらっしゃるので、ご自身の経験も交えてご指導・ご助言を頂けたことが本当に幸運だったと思います。

私からの一言:海外滞在の経験を活かして、短い期間で集中的な海外調査をやるバイタリティは後輩にも見習ってもらいたいですね。テーマの持つ社会性にも配慮できた論文です。