政治地理研究部会 第3回研究会(部会アワー)報告

国政選挙と地方選挙に見る滋賀県の政治文化

開催日 2012年11月17日(土)午前10時30分~正午
会場 立命館大学衣笠キャンパス 敬学館 260番教室
京都府京都市北区等持院北町56-1

<趣旨>
地理学における選挙研究は、定量的分析から場所論をも視野に入れたコンテクストの分析へと進んだ。選挙結果の客観的分析から投票行動における政治風土を見出そうとするものであるとも言える。環境問題などさまざまな争点をめぐる滋賀県域の選挙分析を通じて、政治風土の実態を検討する。

<報告者>
大橋松行(滋賀県立大学)

滋賀県は4つの地域(湖北、湖東、大津・湖南、湖西)と3つの文化圏(敦賀、名古屋、京都)から成り立っている。特に敦賀文化圏(湖北地域)と京都文化圏(大津・湖南地域)とでは生活文化的、政治文化的に大きな差異がある。例えば、政治・行政への関心度では、湖北地域の方が基礎自治体レベルの政治により強い関心を持っている。また、湖北地域には長浜市を核とした長浜圏域が形成されており、生活文化的に独自の社会システムが存在している。特に文化的特性として、郷土意識の強さ、仏教や神道への信仰の強さ、主観的生活格差(社会・文化的レベルにおける不満足度が高い)などがある。主観的生活格差は、明らかに行政的配分の不公平(「南高北低」)の結果によるものである。

次に、滋賀県の政治文化であるが、分析モデルとしてD.イーストンの政治体系の修正モデルを使っている。このモデルは、地域の範域的重層性に対応して、4つのレベル(全体社会〔国家〕、広域自治体、広域市町村圏=広域生活圏、基礎自治体)に区分している。もう一つ大事なのは、フィードバックする際に「選別のフィルター」(=地元意識)がかかるという事である。そこで、湖北地域に特徴的な政治文化は、集団内の競争と同調の結びつきと地元民主主義である。その典型的な事例が、1980年6月に執行された衆参同日選挙での「湖北協定」に基づく自民党滋賀県支部連合会の選挙戦である。この協定に基づいて、湖北地域においては、主観的生活格差や「湖北の復権」思想が地元意識を醸成させて、コミュニティ・インボルブメントをともなった政治行動、とりわけ政権党(=自民党)志向性を濃厚に帯びた政治行動が展開されたのである。

最後に、滋賀県の選挙構図の推移を概観すると、大きく3つの時代に分けることができる。まず、「滋賀方式」の時代(1972-95)である。滋賀方式とは、厳密には労働4団体が主体となって統一候補を擁立し、それに革新・中道政党が相乗りする共闘形態のことである。それは、革新・中道政党の力が弱いゆえに成り立つ滋賀県独特の政治文化で、その後の連合型選挙の先駆けをなすものである。次が、武村時代(1986〔1974〕-2000)である。武村の功績は、環境問題の先駆者であるとともに、女性の生活感覚に根ざした主体的政治参加を促したことである。そして、嘉田時代(2006-現在)である。嘉田知事誕生後、国政、地方選挙とも常に嘉田知事の動向が陰の争点になっている、つまり嘉田知事を軸とした選挙戦が展開されている。今後の課題としては、小選挙区制の導入、マニフェスト選挙、「平成の大合併」といった諸要因が、滋賀県の政治文化の変容を結果していると考えられるので、それらを視野に入れた分析が必要になろう。


<コメント>
高木彰彦(九州大学)

1点目は、政治文化と政治風土のところで、政治文化が選挙の説明要因として強調されるようになったのは1970年代以降だと思われる。それまではいわゆる選挙地理のようなスタイルで属性との関係で説明していた。1960年代ぐらいに選挙分析が盛んになってきた当時の一般論としては、年配の人は保守的で若者は革新であるというようなことが言われていた。いわゆる団塊の世代が、革新的なまま推移していく。そのうちに親がどういう世代で、その親からどのような教育を受けたかということが、政党支持に大きな影響を及ぼすという政治文化が強調されるようになってきた。そう考えると、政治風土はローカルなmilieu的なイメージでとらえているが、むしろ政治文化というのは、もう一つ別の、時代ごとの違いを反映し、世代論のようなイメージもあるのではないか。

次に、滋賀県の選挙構図の推移について、選挙は国政レベルからローカルレベルまでいろいろあるが、どのような基準で、どのあたりを念頭に置いて述べられているのか。滋賀方式において国政レベルの話が、次に武村時代、嘉田時代というように県政レベルが軸になって説明されている。どのスケールを念頭に置いて説明されているのか。国政レベルと県政レベルとでは少し違うのではないかというような印象を持った。

あと感想として、私が政治地理学を大学院で勉強しようと思ったきっかけは地元意識であった。最初に卒論で取り上げたのは、新聞の購読者を調べることによって、地元意識というものが見えてくるのではないかと考えた。それだけでは資料がないので、修士論文の時には、選挙結果を資料として用いた。最初は計量分析から入って、その後、地元意識というようなことを調べた。それが政治地理学と言えるかどうかは別問題として、個人的な研究成果としては、政治社会学から多くのものを吸収した。1994年から小選挙区制が導入されたことによって、欧米の選挙地理学の成果を日本でも使えるようになると思った。選挙地理学というのは区割問題に非常に関心を持っていて、小選挙区でないとそれができない。したがって選挙制度の問題というのは実は大きいのではないかというのを意識するようになってきた。その点で、1960年代から80年代の選挙結果を踏まえて、さらにそれを継続性と断続性というような観点から、今日の現象を説明しようとすると、選挙制度の問題を考慮に入れる必要があると思われるが、この点をどのように考えておられるのであろうか。


<質疑応答と司会所見>

まず発表者によるコメントへのリプライがあった。政治文化と政治風土の問題として、政治風土はローカル的なものだと思う。ただ、地域が何層にも存在するということを考えると、ローカルなものの範域の広さによってまた変わってくる。であるならば、選挙分析において地域で最も大きいのは国家であるから、政治文化と政治風土はかなりマッチングしているのではないかと思う。滋賀県の選挙構図の流れとして、滋賀方式は国政というよりもむしろ、もともとは地方選挙の方に主体があった。首長選挙から始まって、それが参議院選挙に移っていったということであり、いわゆる首長選挙の方が主体であった。国政でも、小選挙区制によって、首長選挙と同じような選挙形態になったので、応用が可能であるという意味で説明した。選挙制度について、中選挙区制であれば、政治文化や政治風土を研究するのは非常に都合が良い。地元意識を使って分析するには良かったが、選挙制度が変わって、いわゆる小選挙区制だけになると、非常に選挙区の範域が狭くなってしまう。そういう意味で地元意識が、どういう位置づけになってしまうのかは、気にするところである。範域が狭くなればなるほど、どの候補者も地元意識が強く働いてくるので、なかなか分析しにくい。マニフェストが出てきたことによって、有権者はそのマニフェストを投票基準にしてきていることを含めると、今までのような分析では難しい。さらに、平成の大合併によって、地方議員がかなり減ってしまったということも考えると、今までのこの分析手法で、政治文化や政治風土を研究していくのは厳しいだろう。

次に会場の参加者から以下の質問があり、発表者から応答があった。滋賀県内の政治だけでなく琵琶湖淀川流域としてみると、滋賀県以外との関係では上流と下流の関係で政治的な統合が見られるのではないかという質問に対して、県内の格差を解消するまでには至っていないという回答であった。滋賀県知事に中央官僚出身者が少ないのはなぜかという質問に対しては、武村知事以降は後継指名をしていたので中央官僚の知事が登場しなかったのではないかという回答であった。ただし嘉田知事は現職知事の後継者ではなかった。選挙制度が変わり中央から「刺客」のような候補者が出馬するようになっても政治風土や地域といった視点は選挙の分析枠組みとして有効なのかという質問に対しては、制度や政治動向が変わっても選挙において地域の有効性は変わらないのではないかという回答であった。無党派層や棄権している層から地域をどのように見ることができるのかという質問に対しては、先行研究があり今後も分析の必要性はあるという回答であった。

今回の部会は人文地理学会時の部会アワーとして開催された。同時に5部会が開催されるとともに午前中、しかも雨天という天候であったためか、参加者が非常に少なかった。折しも衆議院が解散され、総選挙を目前としたタイミングであったにもかかわらず、現実として政治地理もしくは選挙地理への関心の低さは残念である。政治地理研究部会としての広報方式の改善とともに、集客方法の検討を反省事項として意識しておきたい。衆議院議員選挙の告示を前に民主党と自民党の「二大政党」に加え、「第三極」の動きが慌立たしくなってきていた。本部会で過去に取り上げたテーマとして大阪や名古屋の地方政治に加え、滋賀の政治動向も全国政治に影響を及ぼしつつある。当初は環境政治として今回のテーマを想定していたが、図らずも全国政治をも巻き込む情勢となってきたといえる。無党派層や若者だけでなく、人文地理学としても政治地理的なテーマに関心を持ってもらいたいものである。

(参加者:8名,司会・記録:香川雄一)