政治地理研究部会 第21回、地理思想研究部会 第124回合同研究会

「スマートシティ」の批判的検討

開催日 2017年3月5日(日)
会場 同志社大学大阪サテライト・キャンパス 教室1 [OS1]
〒530-0001 大阪市北区梅田1-12-17 梅田スクエアビルディング

<テーマ>
「スマートシティ」の批判的検討

<趣旨>
「スマート・シティ」をめぐって近年の都市研究者が議論している。日本でも用いられるようになったこのコンセプトでは、環境・エネルギー、モビリティ、ウェルネス・健康、セキュリティのテクノロジーが都市管理を「賢く」を支えるものとして言祝がれる。これまで都市研究ではそれを形成し維持する権力の諸側面(再開発・ジェントリフィケーション、植民地主義、スラムクリアランス)が批判的に検討されてきた。スマート・シティは「コード/ソフトウェア」によってリスクの蓋然性を計算しつつセキュリティを維持する。そこでは権力の網の目が無機質かつ非人間的にかけられるという意味で、従前よりもさらに官僚的である。

今回の研究部会では『叫びの都市』(洛北出版)を出版した原口剛氏を招き、「スマート」なるものをキーワードに、都市をめぐる権力と暴力を時間・空間的に見定めるための議論の出発点を設定したい。

<報告>
スマートなるものへの問いと抗い―寄せ場研究の視座から

<報告者>
原口剛(神戸大)

まず、『叫びの都市』のコンセプトについて。本書のねらいは、ひとつには寄せ場研究の伝統であった労働問題へと回帰することであり、もうひとつには労働という概念を押し広げることであった。それゆえ、従来の寄せ場研究が建設労働を分析するものであったのに対し、本書では港湾労働に着目した。このように商品流通にかかわる労働に光を当てることで、「時間による空間の絶滅」という資本主義の命題がいかに肝要であったかを、そして労働者にとって「遮断」という実践がいかに重大な意味をもつものであったかを、本書では明らかにした。本書で試みたように、労働をめぐる問いを拡張していくことは、「経済成長」という用語によって隠されている現実――すなわち搾取や暴力といった現実――を捉え、資本主義的都市化を批判する視座を生み出していくために、欠かせないものであると考える。そのような研究が、こんご積み重ねられていくことを望みたい。

次に、「技術革新(イノベーション)はなにをもたらしたのか」という問いについて、本書からいかなる知見が得られただろうか。この点について、釜ヶ崎は国内で街頭の監視カメラが設置されたはじめての地域のひとつであったが、その設置目的とは、「犯罪」とみなされた暴動の抑止であり、直接行動の弾圧だった。よって監視カメラとは、国内植民地における統治技術として導入された装置である。あるいは、コンテナ革命はどうだろうか。それまで多数の労働者の身体を動員してなされていた港湾運送がコンテナ輸送に置き換えられ、機械化させることにより、労働者は大量に失業させられたのだった。そして、インターネットや携帯電話の普及に代表される、近年の情報革命である。それは確実に、寄せ場の解体と再編をもたらしつつある。すなわち、寄せ場が「デジタル寄せ場」へとなりかわり、ドヤ街の役割はネットカフェ等の消費施設が代替するようになった。このような技術革新の歴史を振り返るならば、「スマートシティ」の負の側面に目を向けないわけにはいかないだろう。

最後に、「スマートなるもの」への問いとして、以下が挙げられよう。第一に、身体と感性の問題である。現在各都市で急速に進展しつつある公共空間の私営化(privatization)と商業化は、それを当たり前の環境として受け入れるような身体と感性に支えられ、またそれを生み出しつつあるように思われる。したがってスマートなるものを問うためには、身体と感性を根底から問い直す作業や、場所やアーバニズムといった概念を現代的視点から再定義する作業が必要不可欠であろう。第二に、「見えるものと見えないもの」、可視性と不可視性の問題である。上述したように寄せ場の再編は、重層的下請け構造や不安定労働を大規模に拡大させつつあるが、他方でそのような再編過程はますます不可視的なものとなりつつある。「スマート」になりゆく都市空間とは、そのような暗い都市現実をいっそう不可視にさせ、否認させてしまう機制でもある。したがって、そのような可視性と不可視性の機制をいかに批判していくのかが、今後の地理学的研究にとっていっそう重大な課題として問われている。第三に、搾取と略奪・暴力の問題である。私たちがまず確認しておくべきことは、D・ハーヴェイが「略奪による蓄積」という概念をもって提示したように、かつて寄せ場に例外化されていた略奪や暴力は、いまや地球的現実として再燃している。この視座をもちながら、都市を、「スマートなるもの」を問うことが重要である。

 


<コメント 1>
二村太郎(同志社大)

「スマートシティ」をめぐる言説では、「ナチュラル」「オーガニック」といった語が頻繁に援用されている。ここではアメリカ合衆国(以下「アメリカ」)を中心に各地の動向を踏まえつつ、上述の語と原口氏の発表を関連させてコメントしたい。

先進国の大都市では、「ファーマーズマーケット」や「マルシェ」とよばれる、生産者と消費者が直接会いナチュラル/オーガニックな農産物を売買する場が増えている。アメリカでは、ファーマーズマーケットの数が1994年から約20年で6倍を超えている。また、発表者の観察の範囲ではあるが、パリでは生産者がオーガニックな農産物を中心に販売する伝統的なマルシェも見られたし、ロンドンの市内にあるボロ・マーケットでも、生産者が自ら販売に来ていることを宣伝する出店者を複数見かけた。

このような活動は、単に生産者や消費者の利益・満足のために都市で実践されているわけではなく、社会正義への希求が含有されていることも少なくない。例えば、人口が急激に減少しているアメリカ・デトロイトでは、NPOが中心となって市内に空き地を多数確保して菜園をつくり、農産物を市内のマーケットで販売したり、低所得の住民への安価な提供が積極的に行われている。また、オーガニックな農産物の販売が前提とされているバークレーのファーマーズマーケットでは、販売する商品に「Grown by union members」(組合員による生産=組合に加入する者(すなわち権利が守られた労働者たち)の産物である)という表示がなされている。これらの例から見えてくるのは、今後の都市には必ずしも「スマート」になることを目指すのではなく、如何により多くの人々の社会正義を実現する場となるかが問われていると言えよう。

日本でも2009年に農水省の補正予算事業として「マルシェ・ジャポン・プロジェクト」が始まったことを機に、全国主要都市で様々なマルシェが誕生した。この中には「オーガニック」な商品の販売に主眼を置くものも少なくない。しかし、ここでは生産者や地域の状況や、購入に来られない社会的弱者などへの視点はほとんど見られない。『叫びの都市』において、原口氏は一貫して労働者と都市の関係を論じてきたが、今後の「スマートシティ」には一部の人々を益する「ナチュラル」「オーガニック」な商品や設定ではなく、それに関わる全ての人々へより公平・公正な環境を提供する都市空間が求められているのではないだろうか。

<コメント 2>
北川眞也(三重大)

「スマート」という言葉は、昨今、さまざまなところで使われている。スマートフォン、スマート(誘導)爆弾、スマートボーダー、スマートロジスティクス、スマートバイオメトリクス、スマートシティ。いずれも事物、事態のスムーズで正確な進行、過程を確保しようとする。この観点からすると、セキュリティの保持のためにさえ、壁やフェンスは不要となる。この事態は、「脅威」と特定された対象を壁の向こうへ追放するよりも、対象をもはや世界から不可視とする暴力性によって成り立っていると言える。それを可能とするのは、いわば壁が不要となるほどまでにスマート化された主体性にほかならない。

イタリアの思想家フランコ・ベラルディ(ビフォ)の議論をここで用いるなら、これはデジタル・ネットワークの内側に統合された主体性だと言える。それは、FacebookやTwitterなどのネットワークに統合され、この装置の機能と律動にしたがう有機体である。圧倒的な加速化と単純化によって駆動する情報圏に接続されたままの生にとっては、他者の血肉感自体が、過度の刺激、不快なものとして感じられる。その結果、自己の圏域の外部に他者を追放するのみならず、その存在を感知しない(できない)感性の、情動の希薄化が引き起こされてしまう。

それは自己の血肉に対する注意力をも失う方向へとすすむ。ビッグデータのプロファイリングによって、安全上のリスクのある人物も自動的に導きだされ、生体測定によって人間存在は規定される。これらはいずれも身体的存在としての自己(の意志)には関わりなく、そしていかなる社会性(他者からの承認など)からも切り離されるかたちで、当人のアイデンティティがスマートに、そして孤立したものとして規定される事態を表している。

また同時に、こうした情報圏は「略奪による蓄積」の重要なフロンティアとなっている。シェアリング・エコノミーに顕著だが、情報圏を通して/において(スマホのアプリ)を通して、さまざまな(自動作用の?)協働が生み出されているが、その「社会」関係はすぐさま価値の言語、私的所有の言語へと翻訳されているのだ。

寄せ場が社会全域へと拡大しているにもかかわらず、それがまるで存在しないかのように進行するスマート化社会に、亀裂は走っていないのだろうか? 亀裂は決して既存の政治的表現においてのみ表出するわけではない。おそらくは、増え続ける自殺のようなかたちで、血肉の領域は表現されているのかもしれない。

 


<質疑応答>
質疑応答では、「スマート」の指示する意味内容、これまでの日本における都市の開発との差異、従来の都市における権力装置と人間との関係と、近年のテクノロジーを用いた都市統治との差異などをめぐって議論がなされた。都市のリズム化=脱時間化、それにともなうリスクの蓋然性の計算がコードやソフト開発によって絶えずなされ、そうした情報がビッグデータに蓄積されることでさらにコードが作り直される。こうした新たな「都市的なるもの」を支える技術の論理と倫理(テクノロジー)に対して、これまでの地理学が培ってきた批判的空間概念をどのように展開していくことができるだろうか。

(参加者:22名 司会・記録:森正人)