政治地理研究部会 第23回研究会(部会アワー)報告

いまなぜ地政学か―そして地理学はどう向き合えるのか

開催日 2017年11月18日(土)
会場 明治大学駿河台キャンパス リバティタワー
〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1

<趣旨>
「地政学」を冠する書籍の刊行は、第二次世界大戦期に歴史上最初のピークをむかえ、戦後は1970年代まで途絶えた後、1980年代初頭に二つ目のピークが現れる。その後1990年代から増え始め、現在は2001年以降にみられる三番目の増加期に入っている。戦前のピークが開戦に伴う一時的傾向であったのに対し、今世紀の増加は長期化し、総刊行数では戦前を凌駕する。こうした地政学書の増加は、日本を取り巻く国際情勢が緊張する(と感知される)時期とほぼ符合する。地政学が戦争に関わる知の形態であること、そして戦前に著しいピークと戦後に長い空白期があることから、地政学書の刊行は戦争や軍事的な緊張と何らかの関係があると判断できる。今回の研究会は、そうした情勢下で雑誌『現代思想』の特集「いまなぜ地政学か―新しい世界地図の描き方」に寄稿した3名の地理学者と1名の国際政治学者を招き、地政学の現在について、そしてかつて地政学の母胎となり、戦後それを忌避してきた地理学がどう向き合えるのかについて、考えたい。

<発表>
山﨑孝史(大阪市大)

今回の特集のような地政学ブームを、どう受け止めるべきか、中国での政治地理学関連会議の開催や『現代地政学事典』の編集はじめ、最近関わる仕事の中でも考えざるを得ない。国際関係の緊迫とか日本の安全保障に対する不安が高まっていく中で、学界の外側で起こっていることには懸念すべきことが多い。地政学的な言説が広範に流布して、受容される社会が出来上がってしまっており、それを地理学としてどう捉えるかという問題設定ができる。

『現代思想』の特集は多くの論考からなるが、寄稿者の地政学についての認識は多様で、概念や史実の誤解も散見されるが、現代の地政学の混沌とした状況が露わになっている。こういう論考の相互の関係を展開していくと、これまでになかった地政学の多面的な見取り図が描けるかもしれない。

私は本特集では導入的な論考を書いたが、他の論考にもつながる論点は提示できたかと思う。地政学は今や非常に多様な内容を含み、定義も困難で、アカデミアでも批判的なものを含めて濫用されているので、政治地理学者としては、戦前の起源と戦後の展開をしっかり押さえ、批判地政学に至る流れの中で、地政学の現在地点を示すつもりで執筆した。

批判地政学の流れは、地政学書の著者のほとんどは知らないか無視する。右派的な議論の中に左派的な議論は入れたほうが良いが、特集には批判的論考は比較的多く集まると考えられたので、あまり批判的には書いていない。右か左かどちらか迷っている中間層に向けて、地政学の史的展開と問題性を丁寧に説明して、それを超える世界の見方を示す役割が政治地理学者にはあると思う。

そこで、「地理学はどう向き合えるのか」について3つ回答を示しておきたい。第一は、地政学を地理学から異質な知の形態として忌避するという態度がある。しかし、地政学を軍事・外交と地理的知識の関わり、その実践、つまり「地―政治」という風に捉え直してみると、それは過去の問題ではなく、不断に回帰してくる。であればその関わりを、過去を踏まえて、想起し続ける必要がある。

第二は、積極的に地政学を活用する態度がありうる。例えば、国際理解教育、領土教育、国土開発、国土防衛などに地理学は貢献し得る。しかし、日本の場合、分析スケールがローカルで、研究対象が脱政治化され、こういう応用は今現在の地理学界では想起しにくい。また、左派・リベラルの研究者は、学問の国策への接近には否定的で、最近の学術会議の声明もあり、簡単に活用しようという流れにはならない。対して、一般社会はもっと積極的にという話になり、そこで社会との乖離ができてしまう。

第三は、研究対象を構成する重要な要素として「地政学的なもの」を扱う態度で、これは戦後批判的に再構築された政治地理学の基本的立場である。私は沖縄の研究に従事しているが、「地政学的なもの」を抜きに語れない。批判地政学の研究もこの立場に含まれる。現在の日本の地理学にも地政学的な視点は不可欠なってこよう。しかし、領土の内側に引きこもっているような研究が多く、内政が外交と緊密に結び付くような対象地域が扱われない。境界研究や国境離島の研究は地理学ではほとんどなかった。日本の地理学の地域概念は、そういう高度かつ重層的な政治性、土地に関わる政治の性質を排除して構築されたと思われる。これが戦後にタブー視された地政学への地理学側の応じ方だったのかもしれない。

柴田陽一(摂南大)

昭和50年代の地政学ブームの背景にはオイルショック、中東紛争、ロッキード事件、ソ連のアフガン侵攻などがある。この時期で一番重要なのは1977年に出た倉前盛通『悪の論理』である。当時の倉前の類書の多くは産経新聞グループの日本工業新聞社から刊行されている。倉前は1921年生まれ、当時の地政学書の著者も1920年代前後の生まれで、戦前の教育を多少は受けているものの、戦後から学問を始めており、戦争を知るようで知らないような世代が地政学書を書いている。それとは別の傾向として、別技篤彦や岩田孝三などは1907年や1908年生まれで、戦争中に地政学に関わっており、この時期のブームに乗じて地政学書を書いている。

倉前は「世界の悪魔たちの陰謀」といった雰囲気を漂わせる書き方をしている。すると週刊誌が「復権した地政学」と題して好意的な紹介をし、そういう論調はその後も続いていく。これに対して、学界では嘲笑的な反応がある一方で、地理的決定論や国家有機体説として批判されてきた地政学書の台頭に懸念を示すものもあった。重要なのは、地政学がこの種の批判にもかかわらず、蘇ってくることである。

では、地理学はどう向き合うのか。ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』は一般書として日本で広く受容されたが、環境決定論的、地政学的な本である。これを地理学者が放置していることを批判する論考が学会誌に掲載されたが、この種の本がなぜ広範に受容されるのかということを地理学は問わねばなるまい。

あるいは、今年の『人文地理』学界展望の「総説」において「地理学者はかつて翼賛的な政策に加担したことを知っている」とされているが、それは本当だろうか。日本の地理学に忌々しい過去があるがゆえに、論壇地政学ではない形で、批判地政学に依拠して異なる地政学を主張すべきという意見もある。それはもっともだが、本当に過去を熟知しているのかと問いたい。

『現代思想』の特集には様々な論考が含まれ、地政学的な広がりや多様性、地政学的なるものが示されて良かったとは思うが、一般大衆が地政学を受け入れている事態をどう考えればいいかは特集からは見えてこない。したがって、私としては、忌々しい過去を伝えるために、制度としての地政学を追求していきたい。

最後に、中国が「一帯一路」構想を唱え、積極的に地政学を追究している。中国の大学では一帯一路を掲げるサマースクールが開かれ、その分析や戦略について中国の地理学者は議論しているようだが、山﨑氏や高木彰彦氏など日本の地理学者も参加している。私は参加できなかったので、彼らが隣国の政治地理学や地政学研究の高まりにどのようなスタンスで臨んでいるのか問いたい。

北川眞也(三重大)

国家主義や自国中心主義、国というスケールのみで世界を見て、地理的な要因が政治を決定する、地政学が分かれば世界が分かると主張する本が多く並んでいる。こうした地政学について批判的に検討する必要がある。

私も『現代地政学事典』の編集に関わっているが、誘われた時少し迷った。一つの理由は、過去の地政学の批判に留まらず、全く別の文脈で地政学論の前提を叩きつぶす知的な議論を創出することが大切だと考えているからである。例えば、国家の空間を自明としない空間論は多様に蓄積されている。地政学でなくとも、空間と政治が、多様な力関係の中で生産され、再編されるプロセスを丹念に追う批判的な研究は多い。右翼的な国家中心主義の議論の土俵に乗るのではなく、それと本当に対立し、相容れないような知的営為を生産していくことが大切ではないか。

しかし、『現代思想』の特集の中でも、ポップ地政学とインテリ批判地政学の乖離という話がある。地政学の流行に対してインテリが難解な議論で、言説分析して批判している。この作業は大切であるが、昨今の社会的状況の中で、受け入れられる素地が確実に減っている。そうした中で地政学への回帰が起こっているのではないか。

そう考えると、社会のさまざまな状況、新自由主義、グローバルな内戦、戦争的状況、日本社会における文化的・政治的右傾化など、多様な右翼的ヘゲモニーが形成されている。中国への否定的感情などは商売と消費に結び付いて、右翼的な本が本屋に並ぶ状況があり、地政学書も既成のこの文脈に乗っているのではないか。それが現在のどういう社会の物質的状況、人々の感情の構造の中で形成、受容されているのかを問わない限り、地政学は回帰してこよう。

オトゥーホールが90年代半ばに地政学geopoliticsを区切ってgeo-politicsとして、狭義の地政学ではなく、地理と政治に関わる多様な問題系、言説や統治の実践として提示した。そのように考えると、「地政学的なもの」を考えないといけない。その例として、オトゥーホールはフーコーの統治性という議論の中で人口や領土の統治を考え、スミスはオトゥーホールへの批判として、国家や国民で把握されない階級性を問う必要があると言った。

批判地政学では、世界の地理的表象が政治的に構成される場として、シンクタンクや学者による「格式の高いformal地政学」、政治家による「実践地政学」、メディアによる「大衆地政学」の3つがあるとされる。しかし、この議論だと大衆地政学の大衆が一枚岩に論じられる。オトゥーホール以降の研究を見ても、大文字の政治権力、つまり国家が前提とされ、その中で大衆、民衆が語られ、その内部の複雑性や多様な行動のプロセスが見えにくい。国家間の関係も大切かもしれないが、それ以上に国家と普通の人々や階級的な対立をこの枠組みに入れ込む必要がある。

最後に、大地を境界付けて、それを物質的に支配の対象にすえる実践を、地政学というなら、私的所有権や国家の領土など、それは常にある話である。それはgeo-politicsである。そうすると根本的には、この世界の物質的な構造を問わない限り、地政学はいつでも回帰してくる。この問いは批判地政学というより、国家やその主権性を前提としない「反地政学」と言うべき、多様なスケールでの実践につながる。アナーキズムの系譜など、そういう実践の記憶や知識、その広がりを記録し、研究することがまず大切である。


<コメント>
川久保文紀(中央学院大学)

山﨑氏の論考について、批判地政学は古典地政学の前提を批判するが、批判地政学は古典地政学からの反批判に対してどう応答しているのか聞きたい。柴田氏の論考については、翻訳において言葉の意味を正確に追うことの重要性を感じた。例えば、マッキンダーの原著題目は『デモクラシーの理想と現実』であり、ドイツの侵攻を民主主義の危機とみなし、警鐘を鳴らすことを意味している。しかし、翻訳書の主題は『マッキンダーの地政学』とされ、原著とは異なったイメージを与える。北川氏の論考と報告は、地政学のように、地理的条件を不変として国家間抗争の前提とすると、地球や地理の動的な可能性、「潜勢力」が見えなくなると指摘された。反地政学という視点も提示されたが、その内実、方法論、何を目指すかについて詳述してほしい。

全体として、古典地政学の国家中心主義から、言説としての地政学に見られるような、分析視点の広がりは見られるが、古い地政学から新しい地政学へ脱皮していくためには、我々はどういう作業をしていく必要があるのか。地政学ブームでは、地政学の「政」、政治の部分が強調され、地理的な要因を無視している議論が多いと思われる。と同時に、単に地政学の「地」、地理の部分を強調し過ぎても十分ではなかろう。地理と政治の関係をどう捉えて、その関係性の中に、どういう要素を取り入れていけば新しい地政学になるのか、という視点も大事ではないかと思う。


<質疑応答>
山﨑:批判地政学は言説分析に依拠し、物質性に関する議論がほとんどなく、2000年代にはその実証性に対する批判を受けるようになった。また、地政学は自国中心主義であると言われるが、ナショナリズムは実は反動で、多国間関係の中で形成される。地政学研究についてこれから大事になってくるのは、一つは学際連携することだが、もう一つは国家中心主義を克服するために、地理学者の側が国際連携することである。これが柴田氏の問いに対する答えで、私が中国に行っている理由である。中国の学会やサマースクールを、一帯一路の話だけで完結させるのではなく、地政学の過去と戦後の政治地理学の内実を中国の若い研究者に伝える必要がある。また、北川氏のような批判的研究は日本だからできることで、中国ではできない。私は、尖閣諸島の問題や中国の海洋進出が、どう沖縄県政に影響しているかについて、差しさわりのない範囲で講述することで、中国の地政学の在り方に「布石を打つ」ようなやり方をしている。

柴田:回答とコメントに感謝したい。地政学という言葉がどういうふうに使われ、政治状況や学問状況とどう関わっているのかは、今後も検証していきたい。

北川:反地政学が「何を目指すのか」については、大きな資本とか国家の物語の内部から抜け落ちていった、いく人々の動きに眼を向け、記録することがひとまず大事だと思う。それが世界各地で読まれたり、実際の闘争の中で意味を持ったり、読み替えられたりすることが起こっている。そういう文脈を意識して、ひとまず敵対性をいかに創り出すかを考えて、進めている。

高木彰彦(九州大):柴田氏から問いがあったが、中国のサマースクールでは個人的な関係から出講しただけであるが、このような形で提示されると、のちに「中国の地政学の片棒を担いだ」ということになる。その意味で、柴田氏が研究する戦争中の地政学の体制と今の中国は似ている。おそらく中国で政治地理を活性化しようとすると、「一帯一路」というタイトルを付けないと資金の確保が困難である。戦争中の地理学者たちも、そういう経緯で地政学に加担したのではないか。

柴田:その種の事情は聞いており、日本人研究者が地政学の片棒を担いでないことも確認しているが、対外的には誤解が生まれかねないと思い、あえて示した。大変申し訳なく思う。

山﨑:関連していうと、IGU(国際地理学連合)の国際主義というのは、地政学が台頭してくるときに非常に重要な課題を抱えてくる。35年の歴史を持つIGU政治地理委員会の場合、冷戦終結までは政治地理をやるのが難しい国が多くあった。ようやくそれが民主化して、「政治地理」という名前を付けることができた。それまでは「世界政治地図」委員会だった。中国も、地縁政治とは言えるが、政治地理はタブーだった。私は政治地理委員会の委員長を辞めた時、中国人研究者を後任に選んだ。中国を国際的な政治地理の議論から孤立させたくなかったからである。中国に政治地理の門戸を開いておくために、IGU北京大会の前に広州でシンポジウムをやって、英米のクリティカルな研究者を呼んだ。中国のサマースクールの講師も国外からは比較的クリティカルな研究者が呼ばれている。中国の学界に対して、そういう形で関与すること、学問の発展を支えていくために協力することは必要であろう。

立岡裕士(鳴門教育大):倉前のような地政学は学問的に批判できる対象ではないと思う。それに対して、批判的な言説分析で学問が向き合うのが第一だろうが、それが無力であるときに、北川氏が主張するのは、啓蒙で問題を解決しようということか。しかし、啓蒙がどれほど有効か。

北川:マルクスのアヘンの話のように、啓蒙は難しいと思う。意識に働き掛けて、正しい理解を説くことのみならず、今の社会の人々の、意識というよりも、生に介入していくことが絶対に必要である。日常の苦しみや困難を、広い意味で国家的なものや、今の右翼的なものに結び付かない方向性において、いかに言葉にできるかが重要だと思う。

立岡:私の聞き方が良くなかった。倉前のような話が受容されるという問題性を分析した後はどうしたら良いのか。結局「その問題性の故に受容されている」と指摘することは啓蒙ではないのか。それはどれほど有効かという質問である。

北川:今の社会の状況とか、人々が引き付けられるものを変えるときに、ただ啓蒙して変わるというのは難しいと思う。啓蒙して変わるのではない人間の振る舞いなど、主体の意識に還元できないさまざまな領域の中で言葉を獲得したいというイメージで語っている。

山野正彦(人文地理学会前会長):人文地理学会が発足したのは戦後70年前だが、新しい社会科という教科が日本の高等学校にできて、そのために適切な教科書や参考書を提供しなければならなくなった。今回の話については、現代の高校や中学の教員に正しい認識を持ってもらうことが非常に重要ではないか。研究者の間では批判地政学などがあるが、教科書の記述もだんだんと「偏向」している。正しい知識、特に人文地理学が得意とする微細な地誌の正確な知識をどう教えたら良いのか。戦前の反省ということで、戦後の社会科は啓蒙思想のもとにあったわけだが、地理教育の面にも目を注がなくてはいけないと思う。

山﨑:以前の政治地理研究部会で内藤正典氏を招いたとき、地理教育研究部会にも声をかけたが、向こうからは声はかからない。現場の教員が政治地理をどう見ているかがわからないので、学会レベルでうまく連携を取っていく必要がある。個人的には八重山の教科書問題を扱っている。領土教育が公民科に入り、地理は幸か不幸か外れている。しかし公民科の領土教育は、今、川久保氏たちとやっている境界研究のアプローチではない。公民としての領土認識の話なので、領土問題が抱えている複雑性には言及しない。境界性を超えていくような地域間、トランスローカルな関係を取り入れていく努力を『現代地政学事典』でもやろうとしている。そうやって、まだ地政学のことがよくわかっていない中間層に訴えていきたい。


<まとめ>
地政学をテーマとする部会研究会は、2013年のIGU京都会議開催とフリント『現代地政学』の翻訳に合わせてシリーズ開催し、その年の部会アワーでも取り扱ったが今回ほどの反響はなかった。その背景には、発表者たちが再三言及する空前の地政学ブームがあろう。そうした学界内外の関心に地理学がどう応えていくことができるかを考えることが、本研究会のテーマでもあった。

上の記録からわかるように、そのアプローチは発表者によっても異なっている。山﨑は地政学の論理構成、多様性、そしてその問題点を把握したうえで、批判地政学的理解ととともに、政治地理学研究としての「地政学的なもの」の取り込み、さらには国際連携や地理教育面での関与の在り方を指摘した。柴田は昭和50年代の地政学ブームの分析や、環境決定論的な一般書への地理学界の無批判な態度から、地政学の過去に対する地理学者の知識の在り方、さらには日本人研究者の中国の地政学への接近に疑念を示した。北川は地政学批判を超えて、古典地政学を受容する社会そのものの物質的な在り方に目を向け、その中の様々な苦悩の声を記録し、地政学を超えた社会状況に介入していくような「反地政学」的立場の可能性に言及した。川久保による的確なコメントと、聴衆との活発な質疑応答によって、これらのアプローチの特徴やベクトルは一層明確に浮かび上がったと思われる。

地政学はその性質と歴史的経緯から、そこに関わる者の政治的立場性と不可分な関係にあり、それをめぐる実践は倫理的次元を多分に含む。その意味でも、地政学であれ、それに対抗する学知であれ、唱道者の政治的立場性まで踏まえたうえで、そのアプローチが評価されなければなるまい。従来はそれが「タブー」として地政学への距離(無知、無関心)を生み出していたのであるが、社会の右傾化とともにその距離が縮みつつある。記録者の見解からは、そうした社会の地政学への漸近的状況とその問題性を的確に把握、言語化し、そこへの多面的かつ継続的な地理学的介入が必要であると括ることができる。

(参加者:36名 司会:畠山輝雄 記録:山﨑孝史)