政治地理研究部会 第4回研究会報告

沖縄脱軍事化への道標

開催日 2013年3月9日(土)午後2時~5時
会場 同志社大学今出川校地烏丸キャンパス志高館 地下SK11教室
京都府京都市上京区烏丸通上立売上ル

<趣旨>
オスプレイの配備や度重なる米兵の事件など、復帰後40年を経ても日米による沖縄軍事化のプロセスは継続している。理念的に沖縄の非軍事化を唱えることを超えて、実践的にどのような脱軍事化の方途を考えうるか、内発的発展論の観点から、沖縄島内での基地跡地利用の事例を比較考察する。

<研究発表>
沖縄島内軍事基地跡地の民生転換:中南部都市圏3事例の検証から

<報告者>
真喜屋美樹(大阪市立大学研究員)

本報告では、沖縄における米軍基地の跡地利用を、内発的発展論という社会発展・変化の概念を用いて分析し、軍事基地跡地での内発的都市計画形成による民生転換の可能性を、那覇市、北谷町、読谷村の3カ所で行われた基地跡地利用の比較検証から考察した。そのうえで、基地跡地での内発的都市計画形成の積み重ねは、基地返還後の沖縄の持続可能な発展と自立につながり、基地返還を後押しするものとなることを提示した。

沖縄本島の中南部都市圏は、沖縄県の人口と産業が集中する一帯であると同時に、嘉手納基地や普天間飛行場という在沖米軍基地の中枢機能が集中する圏域である。このため、嘉手納基地より南にある米軍基地の返還計画が実現すると、沖縄県最大の都市圏に広大な基地跡地が出現することになり、その跡地利用は、沖縄県にとって最重要の課題となる。

沖縄本島中南部都市圏に所在する那覇市と北谷町では、先に返還された広大な基地跡地を再開発して2大商業地を形成した。この2事例は、基地跡地の再開発後に生じる経済波及効果が、返還前よりも著しく増大することを示し、基地を返還させて跡地利用を行うことの経済的有効性を明らかにした。両者は、都市圏における基地跡地利用のモデルと位置づけられている。跡地利用が一定の経済効果をあげたことにより、沖縄では、「基地返還=地域経済の困窮」という社会通念が崩れ、基地を返還させて跡地利用をすることの重要性に関心が高まっている。

他方、この2つの基地跡地に大規模な商業地が形成された結果、周辺の既成市街地は客足を奪われて急速に空洞化が進行した。基地跡地での相次ぐ商業型の再開発は、島嶼県という市場の限られた地域でパイの奪い合いを惹起していた。基地跡地は、軍事空間を平和空間へと転換し、持続可能な沖縄を構築するための貴重な空間となるが、土地収益を最優先とした那覇市や北谷町のような跡地利用の推進は、「開発の暴力空間」を形成する懸念がある。

その一方で、那覇市や北谷町と同じ中南部都市圏に所在する読谷村は、村の中央に位置する広大な平野であった基地跡地を、農業振興地域と指定して農業型の跡地利用を行った。地域の特産である農作物を中核として、地域内産業連関を形成した実績のあった読谷村が、村の持続可能な発展と自立を模索した末に行った跡地利用は、資本の営利のみを追求する再開発ではなく、共同体の再生と生活の場・生産の場を再構築する地域再生であった。こうした跡地利用を実現できた主な要因として行政・地権者・市民(住民)の協働があり、参加と協働は、自治と文化によって支えられていた。

那覇市・北谷町で行われた基地の跡地利用が、成長を前提とする近代化のパラダイムによる再開発であったのに対し、読谷村の跡地利用は、環境・経済・社会的持続可能性を統合的に実現する内発的都市計画形成であったと再定位され、今後の跡地利用に一石を投じる。

本報告は、読谷村のような事例の積み重ねによって基地を包囲していくことはすなわち、基地返還運動を後押しすることへと繋がるという立場から、地域の持続可能な発展と自立に結びつく跡地利用の経験は、脱軍事化の具体的な一歩となるものであることを指摘した。


<コメント>
冨山一郎(同志社大学)

沖縄にずっと当たり前のように存在している基地について、それを変化しうるものとして、そしてある種の夢や創造力として語るための土台を報告者の発表は提供している。特に読谷村を事例に、脱基地への取り組みが「文化」という言葉で語られ、理念のもつ可能性を浮き上がらせている。これが本報告の隠れた論点であり、ある種の身体感覚から語ることの意味を考えさせられた。この基地返還と跡地の民生転換という話題は、自ら農業経済史を専門としていたことから、沖縄戦後史における土地問題と共同体論と関わる非常に厄介な問題だと理解している。土地制度史の分野には地代論があるが、沖縄の軍用地料という概念は従来の地代論では語れない性質を持っている。軍用地問題については土地収奪が強調される一方、土地補償という側面も持ち、1959年の高額改定以降その地代は寄生地主制下の地代とほぼ同額であり、そうした半封建的地代がさらに何倍もの額になっている。こうした地代は何か革命的なことが起こらない限り変わりようがない。この高額軍用地料をどうするのか、つまり沖縄の基地問題は地主の問題に直結している。この地主を共同体論とどう絡めていくかが一つの課題になるように思える。

基地跡地利用について焦点となるのは、土地が返ってくる時にどうするかである。また、返ってくるまでの反基地運動において地主をどう位置付けていくかである。現在の地代水準では跡地利用によって地主を納得させるのは不可能だとも考えられる。読谷村は違うとしても、那覇市や北谷町ではデベロッパーが返還地を転がして地代を回収する。それによって土地利用は物質的な実体経済から離れて進み、金融商品化する。これは跡地利用プロジェクトでの土地マネジメントの問題であるが、沖縄の歴史を考えていく上での鍵でもある。この流れをどうやってシャットアウトするか、地主はそこでどう動くのか、地主たちの共同性をどう理解するかなど考えるべき課題がある。1950年代以降に再編される軍用地主会、字有林つまり杣山などの問題をどう乗り越えて、土地問題を根本転換させるモメントを見出していくかということになると思う。その点、北谷町の返還地共同体の例は郷友会とも異なる、ムラ的でない共同体を考えうる契機になるのだろうか。あるいは読谷村の反基地運動が創り上げてきた共同性とは何か。これまでの反基地運動をそういう点からとらえ直し、運動の共同性についてもう少し違う見方ができるのではないかと考えた。


<質疑応答と司会所見>

冨山氏のコメントに対して、報告者は以下のように回答した。北谷町の地主会が共同体を守る方向で機能してきたこと。読谷村の場合は、軍用地は国有財産扱いされ、村有地として返還されていることから、地主への利益分配の問題が顕在化せず跡地利用について協働しやすかったと考えられる。しかし、字有地に関しては利益分配の問題とつながる例があり、移住者にとっては排他的な土地柄でもあるが、住民に「読谷村の土地」という感覚がある。いずれのケースでも平和運動で乗り越えられたものと乗り越えられなかった問題があり、地主の問題は返還後に現れてくる。報告で言及したドイツ・フライブルクとアメリカ・サンフランシスコの基地跡地利用の例では、国有地の跡地利用をNPOが主導している。

この他、報告者が強調した欧米でのサステナブルシティ論の沖縄への適用、読谷村における基地返還運動とリーダーシップや住民参加との関係、嘉手納基地より南の基地返還による沖縄島南北地域の軍事的再編などについて参加者からの質問・コメントが続いた。沖縄の基地問題は単に平和運動の対象として扱われるのではなく、自治体や地域の運営と将来構想に関わる現実的にして広範な問題群であり、冨山氏のコメントが的確に指摘しているように、地代や土地収益と関わる複雑かつ深遠な側面も持つ。地理学においても観念的な平和論に陥ることなく、沖縄脱軍事化への実践的な取り組みを検証する視座を持つ必要があろう。それが日本の近現代史と戦後の安全保障政策をとらえ直していくことにもつながると考えられる。そうした方向性と可能性を意識させる報告であった。

(参加者:16名、司会・記録:山﨑孝史)