政治地理研究部会 第25回研究会報告

「平和の地理学」とは何か
―パレスチナ/イスラエルの事例から「平和のための」研究について考える

開催日 2018年11月3日(土)
会場 ベーコンラボ京都駅
〒600-8212 京都市下京区東洞院七条下ル塩小路町520三ツ林ビル内

<発表者>
今野 泰三(中京大)

2017年4月にボリビアのラパスにて「平和のための地理」(Geographies for Peace)をテーマとする国際地理学連合のテ―マ会議が開催された。その趣旨説明において,「地理学は戦争の遂行に応用されていると頻繁に非難されてきた。しかし,地理学は平和の構築にも無数の貢献をしてきた」と述べられた。では,地理学において「平和」はどのように論じられ,どのような研究が行われてきたのか。そして,地理学者は研究と実践を通じ,平和を生み出すことにいかなる貢献ができるのか。以下では,「平和の地理学」の展開を概観した後,パレスチナ/イスラエルの事例を通じて「平和のための」研究の方向性を考察する。

第二次世界大戦終結まで,地理学では2つの平和観が存在した。第1は,ラッツェル,チェレン,マッキンダー,スパイクマンなどの地政学者の平和観である。彼らは,帝国主義,西洋列強間の競争,勢力均衡をゲームのルールとして承認し,その中で自国の利益維持を目指すリアリスト的立場を取った。そして,戦争を国家の拡大と国家間の競合から起こる自然現象と見なし,平和は戦争の終結または自国の勝利の後にもたらされるものと見なした。これに対し,アトウッド,テイラー,ホラビン,ルクリュ,クロポトキン,ウィットフォーゲルらは地政学を批判し,既存のゲームのルールを乗り越えて平和を構築しようという立場を取った。そして,他者理解の重要性を主張し,地理学の役割をそこに見出した。

戦後,地理学はしばらくの間,戦争と平和というテーマを扱わなかった。平和を扱う研究が登場したのは1980年代以降である。だが,Williams, Megoran and McConnell(2014)は,戦後の地理学者による平和研究の多くは戦争ばかりに注目し,「平和」というテーマは付随的に扱ってきたと批判した。その上で,平和研究における地理学の役割として以下の3点を挙げた。第1に,平和の規範的前提(普遍主義的な定義)を脱構築する役割,第2に,「平和」を異なる文化・状況・文脈に埋め込まれた知識として考察する役割,第3に,日常生活におけるプロセスとしての「平和」に注目し,地政学と関連付けて考察する役割である。そして,「平和の地理学」は,平和が空間を通じて生産・再生産されるという認識に基づきながら,様々な地理学者が考えを交換し,他分野とも対話できるような広い傘であるべきとした。さらに,地理学者は,価値としての「平和」にコミットし,平和を学問として扱うことを通じ,戦争・暴力を正当化してきた地理学の伝統に批判的に向き合う倫理的義務があると論じた.

最近では,反地政学(anti-geopolitics),フェミニスト地政学,オルタナティブ地政学(alter-geopolitics)といった立場から,伝統的な地政学と批判地政学の両方を批判し,人々の主体性をより重視する研究が登場している。反地政学は,国家とそのエリートのヘゲモニーによって支配された人々が,上から動かされるのではなく,その流れを押し戻し,自分自身を自分で動かそうとする様相に注目する。フェミニスト地政学は,支配的な表象を脱構築し,それに抵抗することを超え,地政学を異なる方法で理解し,地政学の意味を作り変える広範なプロジェクトである。オルタナティブ地政学は,上記2つの流れを引き継ぎつつ,それらの抱える問題点をも乗り越える概念として提唱された(Koopman 2011)。

オルタナティブ地政学は,草の根で,かつ非暴力的に,身体の安全と日常生活に根付いた地政学に焦点を当てる。そして,日常生活からグローバルまで様々なスケールを結び付け,自らの身体を使って,自らの安全保障を形成する様々な実践に注目する。その事例として,軍・警察・民兵からの攻撃・脅迫に耐え,自らの土地に戻り,そこに留まり続けるコロンビアのサンホセの平和村がある。この活動は,「平和の余地(空間)を作る」ことを目指すオルタナティブ地政学的な活動として注目に値する。

本発表者が行ってきたパレスチナ/イスラエル研究も同様に,「平和の地理学」の実践と捉えることができる。1993年,イスラエル政府とパレスチナ民族解放機構(PLO)の間でオスロ合意が締結され,新たに設立されたパレスチナ暫定自治政府に多額の国際援助が投入された。それはリベラルピース型の平和構築であった。しかし,オスロ和平プロセスは,イスラエルによる占領体制の再編成・合法化であり,占領の終結をもたらすものではなかった。そのため和平交渉も破綻した。そうした状況を受け,和平プロセスの基盤となってきた認識と心象地理への批判,及び,パレスチナ問題の捉え直しが必要となっている。そのため,本発表者は現在,1967年戦争以降にヨルダン川西岸地区等での入植地建設の最前線に立ち,「過激派」「スポイラー」と見なされてきたイスラエルの宗教シオニスト(民族宗教派)に着目して研究を進めている。研究の趣旨は,1967年戦争以降の宗教シオニストの入植運動・入植地建設は,それ以前に構築された物質的基盤の上で初めて成立可能であったことを明らかにすることである。さらに本発表者は,オルタナティブ地政学・反地政学の実践の場としてもパレスチナ/イスラエルとの関わりを持つ。第1に,パレスチナ/イスラエルで「平和の余地(空間)」を創出する人々のオルタナティブ地政学的な活動に注目している。第2に,教育者として,「アラブ人はテロリストだ」や「イスラム教徒は危険な集団だ」といった文化的暴力を伴う偏見によって隠蔽される,一般のアラブ人・イスラム教徒の語りや経験に焦点を当てた授業を行っている。

McConnell, Fiona, Megoran, Nick and Philippa Williams (eds.) Geographies of Peace. London and New York: I. B. Tauris.

Koopman, Sara (2011)“Alter-geopolitics: Other Securities are Happening,” Geoforum, Vol.42, Issue 3, pp.274-284


<企画ならびに討論についての所見>
地理学のメジャーな歴史が,国家・帝国主義・戦争と強い歴史的結びつきを有するものであるとすれば,「平和の地理学」は,そのマイナーな歴史なのかもしれない。地理学には,国家の秩序や戦争の外部において,地理の多様性を認め,他者との調和,世界の調和を追求しようとした系譜もまた存在している。IGUの政治地理委員会をはじめ,昨今の国際的な政治地理学においては,この「平和の地理学」が活発に議論されつつある。本企画は,その全体像というより,今野氏のこれまでの研究をふまえた報告のなかから,平和の地理学について考え,議論する場を設けるものだった。

日本のなかでこうした場を設けた理由のひとつは,国家を前提とし,国益への貢献を欲する,自国中心の世界観を知的・政治的に肯定する態度と,浮上する地政学の再評価,地政学的な知の回帰を受けてのことである。フェミニスト地政学やオルタナティブ地政学とも関わりの深い「平和の地理学」は,この国家を中心とする地政学的現実と様々に交渉しながらも,それとは別種の地政治の姿を知的・実践的に探求する。それは,国家や国境という枠組みには回収できない地理の多様性を見出し,そこから相互の理解を図ろうとする営為でもあろう。

質疑応答においては,様々な論点が提出され,活発な意見交換がなされた。

戦争はいつも,「平和」の名の下で行われてきた。日本の現政権が打ち出した「積極的平和主義」は,平和学者ヨハン・ガルトゥング自身が来日したさいに述べたように,彼によって提出された「積極的平和」という概念といかなる関係もない。「積極的平和」は,単に暴力がない状態ではなく,貧困や抑圧を生む構造的暴力を抑制し,それを断つ必要性を述べ,そこから国家間の問題に留まらない,より射程の広い肯定的な平和を定義しようとするものだった。とするなら,憲法9条に基づいて,「平和を守る」と言われるとき,そこで守られるべき「平和」とは,どのようなものか。

(日本で)平和がイメージされるとき,様々な状況や運動のなかで展開されているはずの多様な実践が,そのローカルな文脈を考慮されることなしに「戦争=暴力=悪」,「平和=非暴力=善」という道徳的な図式のなかに回収されてしまいがちである。しかし,例えば,パレスチナ人を最先端の兵器で殺戮するイスラエルの暴力と,それに抵抗するパレスチナ人の暴力を,同列に語ることはできないだろう。サンホセの平和村の実践も,暴力をめぐる緊張関係のただなかにあり,その文脈のなかから創出された平和のかたちである。そこには,暴力/非暴力の安易な区分と序列化を許さないような思想的・実践的背景があろう。

その一方で,紛争など(直接的)暴力がある状態と比して,「暴力がない」とされる状態は,「誰にとって」という問題を避けて通れない。誰がどのように,いかなる基準で,平和を定義できるのか。それは暴力の有無なのか,程度の問題なのか。リベラルピース型秩序に収斂しない「平和の地理学」は,まさにこうした問いに取り組もうとしているとも言える。

ローカルな文脈に,人びとの日常的実践に根づいた平和を志向する点において,地理学にとっての平和は,絶対的に複数のそれである。また同時に,「平和の地理学」は,フェミニスト地政学によっても提示されてきたように,この平和を,より上位のスケールの地政学的現実との関係性において,またその現実から自律的たろうとする実践として思考することも求められよう。

今野氏の報告や質疑応答のなかから,平和,あるいは「平和の地理学」のさらなる姿を想像させてくれる言葉も出てきた。例えば,正義,ケア,複数の平和といった観念などである。直接に紛争地の研究ではなくとも,各人の研究のからも,ここで議論された「平和」を言葉にし,追求することはできるのかもしれない。
(参加者7名,司会:山﨑孝史,記録:北川眞也)