政治地理研究部会 第24回研究会報告

公共施設へのネーミングライツと合意形成
―京都市美術館を事例に

開催日 2018年5月26日(土)
会場 新大阪丸ビル新館3階300号室
〒533-0033 大阪府大阪市東淀川区東中島1丁目18-27

<趣旨>
近年,財政難の自治体の収入確保策として,施設の名称を企業等に売却するネーミングライツ(施設命名権)が多く導入されている。新国立競技場への導入も検討されており,今後さらなる議論となるものと考えられる。しかし,公共施設名に企業名が付与されること,施設名から地名が消失するケースがあること,行政の独断で導入が決定されることなどから,住民との合意形成に苦慮するケースがみられる。そこで,京都市美術館を事例に,公共施設へのネーミングライツ導入にかかわる反対運動や合意形成について考察し,公共施設へのネーミングライツ導入にかかわる論点について考える。

<発表者>
畠山 輝雄(鳴門教育大)

近年,地方自治体の財政難を背景に,公共施設へのネーミングライツ(以下,NR)導入が増加している。NRとは,施設等の名称を企業等に売却して資金を得る方法であり,公共施設に対しては,2018年5月現在で約190自治体,約440施設に導入されている。

公共施設へのNRのデメリットとして強調されるのは,施設名に企業名等が入ることによる地域住民や施設利用者からの反発である。過去にも,抗議行動や裁判などの事例が存在する。このような中で,日本では公共施設へのNR導入に際して,行政の独断による実施がほとんどである。税金により建設される公共施設の名称については,住民も含めた合意形成が重要であり,住民代表である議会での議決が必要と考える。

NRに関する既存研究では,法的・制度的考察,特定事例による効果・課題の検証などが中心であり,合意形成に関して明らかにした研究蓄積は少ない。そこで本報告では,京都市美術館を事例に,公共施設へのNR導入に関わる反対運動や合意形成について考察し,公共施設へのNRに関わる論点を議論する。

京都市美術館へのNR導入については,美術館の再整備の費用捻出を目的として2016年8月に市が公募を開始した。応募は京セラ(株)の1社のみであり,行政内の選定委員会で審議が行われた結果,50年間50億円で契約が締結され,再整備後(2019年秋予定)から「京都市京セラ美術館」という通称になることが決定している。京都市には,東京五輪時に多くの観光客が京都に来訪することを見込み,京都市美術館がある岡崎公園をMICE拠点として整備する計画があり,その一環でNRを導入した背景がある。スポンサー側は,当初京都市から寄付を打診されたが,対価がなしでは株主に対して説明がつかないことからNRへの応募による資金提供という形となった。

これに対して,京都市議会,周辺住民団体,環境団体,美術家団体などが反発した。市議会では,行政の独断で導入が進むNRへの議会関与を目的に多くの反対意見があり,その後美術館再整備のための入札不調も含めて「京都市美術館の再整備に関する決議」を全会一致で可決した。さらに,NRに対して京都市会基本条例の中での議決事件化する改正案を全会一致で可決し,NR導入に際して議会での議決を義務化した。

住民団体は,MICE計画での国際観光化による岡崎公園を中心とした地域の生活環境悪化を懸念して反対運動を行った。また署名活動も行い,売却撤回を求める請願書を議会に提出した。また美術家団体は,「京都市美術館」という名称にアイデンティティを感じ,自分の作品の配属先の名称に企業名が入ることに嫌悪感を示した。さらに,環境団体は公共物に営利企業名が入ることに対して不信感を抱いた。これらの団体は,背景は異なるものの京都市美術館へのNR導入に対する反対意見を持ち合わせていることから,「京都市美術館問題を考える会」を新たに発足し,市議会各会派へのNR撤回の申し入れや,インターネットでの撤回に向けた署名活動,市役所前での抗議宣伝,市長や京セラ社長への抗議文の送付などを行った。

本研究では,世論の実態を明らかにするために京都市民3,000名を対象としたアンケートも実施した(回収率33.3%)。その結果,美術館から近距離かつ,利用回数の多い住民でNR導入に対する否定的意識が高く,美術館に対するアイデンティティが高かった。

以上より,京都市美術館へのNR導入を巡っては,岡崎公園の開発の中での美術館に対するNR導入という市と,岡崎公園周辺の居住環境の維持を希望する住民団体,美術館へのNR導入に反対する環境団体や美術家団体というように,主題とする対象の違いが明らかとなった。また,グローバルな視点からのMICE計画をする市と,ローカルな地域での生活環境維持を志向する住民という,場所性やスケールの違いも明らかとなった。そこに,NRに関して関与を求める議会の動きがあり,美術館へのNR導入を巡って複雑な対立構造が生じていた。このように,NRという施設名称変更に伴う表象の変化が美術家や住民のアイデンティティを侵害し,岡崎公園に対する「市民による文化ゾーン」から「国際文化・観光ゾーン」という市側による表象の変更が周辺住民による生活環境維持のための反発を生じさせたといえる。つまり,施設建設・改築を伴うNRにおいては,場所や表象をめぐる複雑な対立構造が生じることが明らかとなった。

現状では,公共施設へのNRについて法制度的に確立したものがなく,合意形成を図る手段としては条例により規制をかけるしかない。京都市では,市会基本条例により合意形成を図る手段を選択したが,今後さらなる増加が予想される公共施設へのNRの合意形成に対して,さらなる研究の蓄積が必要である。


<コメント>
原口 剛(神戸大)

畠山氏による報告は,NRをめぐる政治やコンフリクトの詳細を明らかにするものであり,現代都市の動態を考察するための重要な問いが孕まれている。その問いの可能性を開くために,NRをめぐる政治に新自由主義的権力がいかに作動しているのかという問題意識のもと,三つの問いを提示したい。

第一に,NRの政治的文脈,およびそれがもたらす物質的帰結について。畠山報告でも例示された宮下公園のナイキ化に関しては,ナイキによる契約期間中に野宿者に対する行政代執行が敢行された。また,その後2014年からは「新宮下公園等整備事業」が開始され,公園の閉鎖と商業的改造が着手されている。この一連の経緯を踏まえるならば,NRは公園の私営化(privatization)の門戸を開く契機となったと考えられる。またそれは,東京五輪開催といったより広いスケールの政治と絡み合っているように思われる。とはいえ,NRの政治的文脈やその物質的帰結は場所によって異なるだろう。とするなら,京都市美術館の事例との共通性や個別性をどのように考えるべきだろうか。

第二に,「条例」という権力の固有性について。ひろく知られるように,90年代ニューヨークのジュリアーニ市政のもとでは「ゼロ・トレランス」政策が組み込まれ,物乞い行為の禁止等の措置が展開された。日本国内でも,2000年代にはさまざまな自治体で「資源ごみ持ち去り」禁止条例が施行されていった。このような政策は,ニール・スミスのいうrevanchismの付帯的事例といえるが,ここで注目されるのはその実現が「条例」という法基盤に則って作動している点である。そしてこの点は,畠山氏の報告するNRの事例と,大いに共通するものと考えられる。それでは,憲法や法律とは異なる「条例」固有の性質とはなんだろうか。

第三に,「公共」をめぐる問いが挙げられる。とくに2000年代以降の政治的言説においては,「新しい公共」などのワードが多用されるようになったが,そもそも「公共性」や「公共空間」とはなにかという問いは,むしろ後退しつつあるように思われる。たとえば,「新しい公共」と「新しい公共経営(New Public Management)」は,まったく異なる概念でありながら,混同されたまま使用されている現状にあるのではないか。畠山氏による報告は,「公共」なるものを考察するための,重要な手がかりであるように思われる。はたしてNRの導入は,公共性や公共空間のありようをどのように変化させるのだろうか。


<討論とまとめ>

討論では,美術館におけるNRの特殊性と,公共施設へのNRと公共性,NRによる名称や名付けるということに関する議論が中心となった。

まず,美術館におけるNRの特殊性については,京都市美術館において,行政,美術家,地元美術団体など美術館を取り巻く諸アクターが,NRに対してどのように関わっているのかという質疑があった。これに対して,NR導入は行政と京都市立芸大教授である非常勤の美術館長が主導しており,美術家たちも派閥によって反対運動をするか,市長側を擁護するかに分かれたように,NR導入以前からの京都府内の美術家たちによる派閥対立も関係したことが説明された。また世界的に,公共の美術館の各部屋にNRを導入する事例はあるものの,施設全体にNRを導入した事例はないため,特殊なケースであることも指摘された。

次に,公共施設へのNRと公共性については,まずNRが導入された美術館やスポーツ施設は公共財なのかという質問があった。また欧米では,パブリックだけでなくコモン(共有なるもの)という表現を用いてコモンが資本によって搾取されるという議論があるという論点も示された。それに対して,公共施設である以上,税金を使用して建設されるため,住民による合意形成が重要であり,その代表である議会の発議によって,京都市会基本条例でNRを議決事件化したことは意義があるとの説明がなされた。また,これに対して条例が成立すればそれで良いのかという意見も出されたが,NRに対して法制度的に確立したものがない中で,まずはそれを規制する条例が成立したことを評価したいという回答がなされた。

最後に,NRによる名称や名付けるということについては,本事例はNRによる物質的帰結が大きな影響をもたらしているが,名称変更のみの事例をどのような文脈で問題化していくのかという質問があった。それに対して,NRにより公共施設から地名が消失することによる所在地の不明化,名称の度重なる変更による名称の未定着などが問題点としてあるが,これを地理学的視点からどのような言説で問題化するかは今後の課題との説明がなされた。

以上のように,過去に地理学ではほとんど議論されなかった公共施設へのNRに関して多岐にわたる観点から議論できたことは,今後のさらなる研究の深化につなげるための意義のあるディスカッションとなった。
(参加者:11名,司会:前田洋介,記録:畠山輝雄)