「世界都市」から「スケールの政治経済学」へ:ネオリベラリズム以後の都市リストラクチュアリングの社会学の課題
開催日 | 2015年5月30日(土)13:30~16:30 |
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会場 | ウインクあいち(愛知県産業労働センター)12階 1210会議室 |
後援 | 名古屋地理学会 |
<発表>
「世界都市」から「スケールの政治経済学」へ:ネオリベラリズム以後の都市リストラクチュアリングの社会学の課題
<発表者>
丸山 真央(滋賀県立大学)
都市社会学には二つの問いがあるといわれてきた。一つは「都市が何を生み出すのか」,もう一つは「都市を生み出すものはなにか」という問いである。前者は都市を独立変数とみるもので,シカゴ学派のアーバニズムの理論や都市コミュニティ研究に代表される。後者は都市を従属変数とするもので,シカゴ学派批判として登場した新都市社会学にみられるものである。本報告では,後者の今日的展開として,世界都市論から「ネオリベラル化都市」論を経て「スケールの政治経済学」へと至る流れに注目して,今日の日本都市の変化を捉える社会学的研究の課題を整理したい。
1980年代以降の都市研究で大きなインパクトをもったのが,「グローバル化と都市」という問題設定であった。資本主義世界経済による統合が進展する中で,大都市の構造や機能がどのように変化するのか,こうした関心から生じたものであり,J. フリードマンの世界都市仮説やS. サッセンのグローバル都市論を軸に議論が展開してきた。一連の議論は,「都市を生み出す」メカニズムへの関心と,都市の内部と外部の連関への関心から成り立ってきたという意味で,新都市社会学の問題構制を引き継ぐものであったといえよう。日本の大都市の社会学的研究も1980年代以降,この研究文脈から大きな影響を受けてきた。
世界都市仮説やグローバル都市論(以下,世界都市論)は,いくつかの操作仮説をもとに議論されてきた。例えば,「地球規模での越境的な都市間のヒエラルキー的分業関係の形成」仮説,「グローバルな中枢管理機能の集積」仮説,「高度で専門的な生産者向けのサービス業の増加と集積」仮説,「製造業の衰退」仮説,「階層分極化」仮説などである。
世界都市論は,1980年代から日本でも積極的に受容されて,実証研究もおこなわれてきた。そこではとくに「東京は世界都市であるのか」という関心のもと,上述の仮説の検証作業が進められた。そこで明らかになったのは,ニューヨークやロンドンと大きく様相を異にする東京の姿であった。例えば,移民労働者の数や多国籍企業の本社数の少なさ,生産者サービス業の集積の未形成などは早くから指摘されてきた。とくに社会学者が注目した「階層分極化」仮説も,1990年代の時点では「兆し」がみられると暫定的に結論づけられる程度であり,ニューヨークやロンドンの状況とは大きく異なるとされた。
では,東京のこうした特殊性はどのように説明されてきたのか。例えば,ニューヨークやロンドンが「マネー・アブゾーバー」型の都市であるのに対して,東京は「マネーサプライヤー型」であるという都市の経済構造からの説明はそのひとつであった。また,都市と国家の関係に注目した説明では,市場や市民社会に積極的に介入する日本の国家構造がポイントとされた。これらを統合した説明が,レギュラシオン経済学や資本主義国家論をとりいれたR.ヒルらによる説明であり,ヒルらは,都市がおかれた政治経済体制から東京の特殊性を体系的に説明した。
こうした世界都市東京論は,今からふりかえると,限界があったのもたしかである。ひとつは,バブル期の時代被拘束性である。日本の製造業の世界的な強さを背景にして,分厚い中間層を擁し,階層分極化が進んでいない世界都市,あるいは,開発主義国家が積極的に都市(の経済,市民社会,空間)に介入する世界都市といった東京像は,1980年代のリアリティに裏打ちされたものであった。もうひとつの限界は,例えばニューヨークやロンドンに比して東京は「階層格差が小さい」という量的な違い(スカラー)を根拠に東京の特殊性を検出するという方法的態度であった。「格差が以前より拡大する傾向にある」という方向性(ベクトル)に注目すれば,異なる知見(いずれの都市でもグローバル化のもとで都市内部の階層格差は拡大している)はありえたはずである。
実際に,第一の点についていえば,例えば階層分極化仮説を例にとると,1990年代以降,「分厚い中間層」や「分極化は『兆し』にすぎない」という見立てが揺らいだのは明らかであろう。今日の目で見た再検証が必要であると同時に,そうした変化の背景となったネオリベラリズムを都市論や東京論にどう取り込んでいくかが今後の課題になってくると思われる。
そこで,2000年代以降,欧米を中心に議論が進んでいる「ネオリベラル化する都市」論に注目してみたい。この議論の特徴のひとつは,ネオリベラリズムの捉え方にある。ネオリベラリズムは,思想やイデオロギーに還元されがちだが,この議論では「現存(actually existing)ネオリベラリズム」,つまり政治経済的なプロジェクトとしてネオリベラリズムが捉えられ、「ネオリベラル化」という方向性が研究の焦点となる。もうひとつは,ネオリベラリズムの「破壊」と「創造」の両側面を視野に入れられることである。ネオリベラリズムは,福祉国家時代の国家介入を後退させる市場原理主義として理解されることがあるが,市場原理を社会全体に浸透させるには,国家の新たな役割が必要になる場面がどうしても出てくる。「撤退(roll-back)」型ネオリベラリズムと「侵攻(roll-out)」型ネオリベラリズムという類型・段階の提起は,こうしたネオリベラリズムの多様な姿を捉えることを可能にするものである。
第三に,ネオリベラリズムにとって都市が決定的に重要な空間になっているとの見立てが挙げられる。ケインズ主義的福祉国家では,国土全体で完全雇用が実現されるために,「国土の均衡ある発展」テーゼのもとで,周辺地域の地域開発が積極的に展開された。ネオリベラリズムにおいては,この空間的ケインズ主義を破壊することが必要になり,国民経済の競争力を強化できる局所(「特区」)への集中投資への転換が図られる。グローバルスケールと連接する大都市(世界都市)が,ネオリベラリズムにとって戦略的な空間として浮上しているのもそのためである。
最後に,「スケールの政治経済学」に一言して終わりたい。地理学から出発した「スケール」論が社会科学全体に影響力をもつようになっているのは周知のとおりである。例えば,N. ブレナーは,世界都市論をスケール論の観点から再検討して,グローバルスケールと都市スケールの二分法的な前提から,そこに国家の空間的な企図や戦略を加味することで,新たな都市像や国家像を浮びあがらせた。2000年代以降,世界都市論は「スケールの政治経済学」へと発展させられつつあるし,新都市社会学以降の都市のマクロ社会学的・政治経済学的なアプローチも,スケール論議やスケールの政治経済学との交流のなかで新たな研究地平を開きつつある。
スケール論をとりいれた都市研究は,グローバルスケールと都市の関係だけでなく、近隣などの下位スケールも含めて、都市と諸スケールとの重層的な関係を明らかにする可能性をもっている。同時に,都市社会学における「都市が何を生み出のか」と「都市を生み出すものはなにか」という分断されがちな問いを統合する可能性も有しているのではないかとも思われる。地理学のスケール論に都市社会学が学ぶ必要はそこにあるし,日本でも都市研究は今後ますます学際化・超域化していくことが期待される。
<質疑と司会者所見>
今回の部会では,マクロな政治経済の変化に伴い変貌する都市のガバナンスに対して,どのようなアプローチが可能なのか,都市社会学者の丸山真央氏に社会学の立場から発表してもらった。質疑では,発表で取り上げられたネオリベラリズム,スケール,リスケーリングといった概念をめぐるものから,地理教育や学問分野を越えた都市研究の可能性に関してまで,多岐にわたる話題について,地理学,社会学,政治学など様々な立場から活発な議論が交わされた。
中でも多くの時間が割かれたのが,スケールとリスケーリングについてである。丸山氏も指摘するように,グローバル化という政治経済の構造変化に伴い,従来の国家や都市を中心とした空間管理が再編される中,社会諸科学においてスケール概念が浸透しつつある。しかし,スケールやリスケーリングについては,地理学を含め,日本の既存研究における,これらの概念への理解が不十分であることなどが議論された。 第一には,近年のスケール論は,地理学的スケール,すなわち,研究者から独立したところで,諸アクターが生産するスケールに関するものであるが,いまだに,地図学的スケールや方法論的スケールといった従来のスケールの捉え方が主流であり,地理学的スケールやスケールの生産に対する認識が広がらない中で,スケールという言葉が独り歩きしている問題が挙げられた。
第二には,スケールやリスケーリングは,空間管理の再編を捉える視座となるが,その際,研究対象として既存のスケールだけを見るのではなく,スケールが生産されているところやそのダイナミズムに目を向ける必要性が指摘された。
第三には,日本でのリスケーリングの議論の可能性についてである。リスケーリングは,領域国家の後退後に世界都市が登場し,その後,例えばネオリベラリズムの推進というかたちで,国家が再度入ってくるという流れのもとにあるものである。しかし,日本では,例えば,市町村合併を,国家による制度改革として見ながらリスケーリングの枠組みで論じているように,上記の流れやスケールの生産が十分に踏まえられていないという指摘が挙がった。その上で,やはり実際の都市や社会が国単位では捉えられなくなっているのは確かであり,EU内の都市のように,日本でもそうした中で東京一極集中とは異なる国土のあり方や市町村合併,道州制の問題を論じる可能性はあるのではないかという問いかけがなされた。
こうしたスケールをめぐる議論の中で,発表者は,都市内分権やコミュニティの変化もまた世界的な政治経済の構造変化と結びつくものであり,よりミクロな現象も一緒に考える枠組みを探る必要性を指摘した。スケールやリスケーリングという考え方が他分野に浸透する一方で,日本の地理学における理解が深まっていないことも浮き彫りとなった。これは地理教育にも通ずる課題でもあるが,例えば,スケールを垂直方向ではなく,横への広がりとして見ていくことや,方法論的ナショナリズムに陥らないといった点も含め,スケールの捉え方に対する内省がいま一度求められると言えよう。
スケール以外についても示唆的な議論が展開された。ネオリベラリズムについては,その浸透が,国土の均衡ある発展から,都市の重要性をより強調するものへと力点を変化させた側面があるが,同時に,資本主義の価値や生産過程自体にとっても都市の重要性が増していることにも目を向ける必要性が指摘された。
また,分野を越えた都市研究のあり方も模索された。シカゴ学派の従来の都市社会学にとっての都市は,都市的生活様式であり,人のつながりとしての都市であった。それに対して新都市社会学は,都市化社会から都市型社会への変動のあとでも都市社会学は成り立つのかという疑問を投げかけており,その際,都市をどのように定義するのかが議論になり,スケール概念は,そうした中で受容された面があると発表者は述べる。国際社会学会(International Sociological Association)のリサーチ・コミッティ21は,もともと上記の新都市社会学を中心とした学会であったが,今では地理学者が多く参加しており,社会学というよりは都市研究の様相を呈しており,日本でも分野横断的な都市研究を活性化することが求められた。
ともすれば,日本の地理学では,ネオリベラリズムをはじめ,マクロな政治経済の変化を与件とし,そのもとでの都市や社会をみることに傾倒しており,政治経済の変化それ自体の内実やダイナミズムを分析する研究はあまり充実していなかったといえよう。今回の丸山氏の発表とその後の議論は,既存の研究の課題を浮き彫りにするとともに,動態的に都市や社会を研究する枠組みを構築するための手がかりを多く含んだものであり,とても示唆に富んだ部会であった。
(出席者:23名,司会者・記録:前田洋介)