政治地理研究部会 第16回研究会(部会アワー)報告

地名の認識論序説―都道府県名と階層関係―

開催日 2015年11月14日(土)
会場 大阪大学豊中キャンパス
〒560-0043 大阪府豊中市待兼山町1-16

<講演>
地名の認識論序説―都道府県名と階層関係―

<報告者>
成瀬厚(東京経済大学・非常勤講師)

地名が住民の土地との関わり合いの記録であるという認識による地名研究はアカデミー以外で,あるいは郷土研究の一環として継続的に行われている。地名を民俗的空間分類としてとらえる文化・社会地理学的研究も一定の蓄積がある。一方で,近年の英語圏地理学においては,特に植民地支配や近代国家形成において,政治権力による土地の命名・改名が行われてきたという観点からの「批判地名学」が盛んであるが,日本においてもアイヌ地名をめぐる問題などの研究蓄積,あるいは社会言語学における成果が関心を共有している。

本報告では,地名がローカルな生活における土地との関わりにおいて下から名付けられる一方で,ナショナルな国土管理を目的として上から名付けられるものであるという認識に立つ。その上で,ローカル―リージョナル―ナショナルという空間スケールと対応するように,地名は階層性を有すると考え,言語における階層性と空間スケールとの関係を認識論的に議論することを模索する出発点として,日本の都道府県名を対象とした。都道府県は日本を47区分したもので,ナショナルな空間スケールの下位区分である。一方で,ローカルな場で生活する国民にとって,都道府県は市町村という空間スケールの上位区分である。さらに,47都道府県の範域と名称は明治21(1888)年以降120年以上変更されておらず,定着し,県民性の話題など,大衆性を有するものでもある。

現在,日本の行政区分は,下位の区分が上位の区分に内包されるという入れ子状をなしている。これは周知のように明治の近代国家形成の過程として,地方自治体制を確立した結果である。報告では歴史学の成果に依拠しながら,その過程を概観した。まず,慶応4(1868)年の政体書制定により,政府直轄領を府県とし,藩を正式な行政組織とすることで幕藩体制を解体し,地方を対等な行政組織として政府の管轄下とした。明治2(1869)年の版籍奉還により,諸藩が支配していた人民と土地が国に返上され,明治4(1871)年に廃藩置県が断行され,3府302県が成立する。藩主は東京在住となり,各知事には他府県出身者が任命された。こうした地方官の人事は難治県や自由民権運動の統制を目的としており,同じ目的により,藩名を県名としていた302の県は同年中に72県にまで廃合される。その際に,県名の多くは藩名から県庁が所在する郡名へと変更された。

同年には戸籍法が制定され,無機質な行政区域としての「大区小区制」がつくられたが,この段階で中央集権的な地方行政体制は確立したとはいえない。明治6(1873)年には地租改正が制定され,村請制の解体に伴い,町村という行政単位が個別の利害関係から独立し,無内容で均質な空間に変容する。その結果,町村組織の統廃合が進んでいく。明治11(1878)年の三新法(郡区町村編成法,府県会規則,地方税規則)制定によって,地方税と府県会による府県内の財政管理が成立し,府県の分割(38→46府県)と町村合併(71,314→15,859町村)とが促進していく。こうして,府県制・郡制が制定される明治23(1890)年までには近代日本の地方自治体制が確立し,モジュールとしての地方行政組織,すなわち府県レベルの均質化,町村レベルの均質化が達成されるという。

この段階で,日本においては階層的に内包的な入れ子上の行政区画ができあがり,公式の地名としての行政名はそのスケールの階層性に対応するようになる。それは階層性を成す自然物である生物分類,あるいは抽象のレベルに従って階層性を成す言語体系と構造的な類似性を有する。しかし,最終的に採用された府県名の多くは藩名と郡名であるように,地名においては名称そのものが抽象性を有するわけではない。

廃藩置県時に藩名あるいは郡名であった地名をさらにさかのぼると,荘園名や町村名,城名,神社名が元になっていることが分かる。どれもローカルな地名である。本報告の段階での暫定的な結論としては,地名が階層性を有するという言明は精確ではなく,地名そのものが階層性に準じて抽象性を帯びたものとして命名されるわけではない。地名はその起源・由来と切り離されて(命名時にはある意味自然物の隠喩として誕生するが,定着した地名は死んだ隠喩となるともいえる),スケールを横断し,より広域な地理的実体を指し示す固有名として用いられるようになる。また,ローカルな地名は名称そのものが固有性を持たない(同じ小地名は日本全国に存在する)が,広域地名として使用されるようになると,さらに上位のスケールから眺めてみた場合に同じレベルの行政名に同じものが用いられないように,政治的な調整が行われる。このように,全ての地名が階層性をもって命名されるわけではないが,近代国家成立に伴い,その国土空間が隙間のない空間的内包的階層関係を有するものとして区分され,それらに行政名という公式な地名がつけられることにより,階層性を有した固有名として国民に使用されることとなる。

今後の課題としては,報告者にとってはまず近世以前の地域区分についての理解を深めることにある。特に,その空間的拡がりと,支配者・民衆双方におけるその認識について歴史地理学の成果をたどってみたい。また,批判地名学が主張する旧来の地名研究が有する政治性についても,日本の文脈で考察したい。報告者も地名の由来などについては旧来の地名研究から学ぶことはまだまだあるが,それを絶対視することへの警告も忘れてはならない。最後に,自然物,認識,言語,それぞれに関する階層性の関係についての考察も深めていきたい。特に地理的実体,例えば都市地理学で議論が進んでいる都市の階層性についてや,地図学で議論されている地図表現における階層性などについても理解を深めていきたい。


<コメント>
畠山輝雄(鳴門教育大学)

報告に対するコメントとして,①地名のスケール・階層性について,②地名の利用に潜む政治性について,③地名とアイデンティティについて,という3点を示したい。

第1に,地名のスケール・階層性について,報告内では郡名が県名になっている事例が多く,県名の起源はもともとローカルなスケールであるケースが多いことが指摘された。一方で市町村名についても同様であり,生活圏の広域化から平成の大合併では郡名がそのまま市町村名になった事例が58件(新設合併の13.1%)と多くを占めており,市町村名も郡名のほか,旧国名を採用するなど広域化してきている。このため,これまでの傾向とは異なり市町村名が都道府県やそれを超えるスケールの地名を追随するケースが多くなり,地名のスケールと階層性について,どのように考えるかが課題であると考える。

第2に,地名の利用に潜む政治性について,報告内では地名の階層関係は政治的主権者が領土を管理する目的で作り上げたと指摘された。他方で,権力が強制的に地名を変更する場合があるとの指摘もある。例えば,市町村合併における新市町村名の決定に際して,折衷案によるひらがな地名や話題性などを狙ったカタカナ地名など,歴史性や場所特定機能を無視した地名が多くなっている。また,観光資源の名称を用いて地域活性化を目的とした地名決定の事例もみられる。このように,地名を政治的手段として用いる事例が増加していることが近年の傾向であり,これらに対する議論が今後望まれる。その意味では成瀬(2013)における空港名の愛称化や近年増加している地域ブランドの議論は重要である。

第3に,地名とアイデンティティについて,報告で指摘されたようにわが国では空間的内包的階層的関係を有するのであれば,住民は各階層におけるアイデンティティを有するはずである。その場合,国家(日本)や都道府県の場合には大幅な行政界や地名の変更がないため,不変的なアイデンティティが形成されるが,市町村以下では市町村合併等による行政界や地名の大幅な変更に伴いアイデンティティが変化するはずであり,地名の変更に伴うアイデンティティの変化に関する議論をする必要がある。また近年,自治体の財政難を背景とした公共施設等の名称を企業等が購入するネーミングライツが全国で増加してきている。具体的には,味の素スタジアムや日産スタジアムなど施設名から地名が消失する事例が多く,全体の60.5%を占めている。これによって,施設所在地が不明確になるだけでなく,施設利用者や住民のアイデンティティにも影響が生じるものと考えられる。その意味でも,地名と公共性との関係を改めて議論する必要がある。

<コメントに対する回答>

都道府県の成立の歴史をたどる中でわかったことは,都道府県名には郡名というローカルな地名が多く使われていることである。新しい国家体制ができるときに,全く違った地名を作るわけではなく古来より使用されている地名を流用しており,これは日本独自のやり方ではないかと考える。このため,地名が空間スケールを上がったり下がったりするのは偶然的である。例えばコメントであった観光地として認知度が高い地名を採用したり,空港名では自衛隊と共有している空港は知名度があっては困ることから,ローカルな地名を採用するなど,他の抽象度によって地名の決定の仕方が異なってくるといえる。哺乳綱という名称は,動物の具体的な姿とは関係ないように,抽象的な言葉によって付けられているが,地名はスケールが大きくなるものに対応する地名として付けられても,それは決して抽象度が上がったわけではない。しかし,地名の利用においては都道府県で何かを話す際には,その中のローカルな地名は捨象されているため,そのあたりの関係について詳細に論じられたらと思う。


<質疑・意見>

  • 会場1:今後のシンポジウムなどへの見通し図として伺った。さらに,編著での書籍の出版もお願いしたい。
    報告者:地理教育の分野で都道府県名の教え方に関する研究は多くあるが,そこでは階層性や居住市町村との関係を無視して暗記させるケースがあるため,そこに対する提案を考えている。
  • 会場2:地名に階層性はあるのか?階層性があるのは,地名ではなくそれによって示されているものの階層性ではないのか?
    報告者:地名が指し示す対象としての空間的なものに階層性があり,それを名指す地名であるため,名指されるものの階層性で我々は地名を使っている。
  • 会場3:コメントで述べられた小空間の名称がより広域に使われたり,その逆転現象が起こっているということは,政治的な影響力の増大によって最近ではなく以前から起こっていることであると思うが,それは注意に値する現象であるのか?
    畠山:過去の合併でもそのような事例はもちろんあったが,平成の大合併で特にそのような事例が多く見受けられ,注意するというよりは,都道府県と市町村が同じような地名になったときに,住民がアイデンティティを持てるのかという問題も含めて都道府県名と市町村名のスケールをどのように整理するかということが重要である。
  • 会場4:大和という地名が拡大していくという事例や,中国の王朝名がローカルな地名からできているという事例から考えると,地名はそのような性格を持っているだけではないのか?
    報告者:それが結論であるが,その先に階層性を感じてしまうことや,スケールでもって地名を使ってしまうということをこれから考えなければならない。出発点としては,地名は基本的にローカルなものなので、それがどのように使われるかは恣意的なことに過ぎない。特に都道府県は長い間統一した地名を使用しているため,ある一定の空間スケールとの結びつきを強くしてしまうという特徴があるのではないか。
  • 会場5:地名には,社会性や空間性というような実体性があるのかどうかは重要な議論である。コメントの中で平成の大合併に関して,地名がより広い空間的な実体を表すような形で解明される傾向を感じた。その理由については,地名の決定には権力や都市間競争が関係しているからと考える。より高次の空間への志向や,より広い到達範囲からの観光客の呼び込みに対する志向をすることによって,空間的実体を地名がつくりだそうとしている傾向があるのではないか。また,市町村合併を事例にとると,自分が住んでいたところについては,地名と自分(身体性)が一体化しているが,それがある日突然別の地名に変わってしまうことで,権力によって自分自身が地名から疎外されてしまう問題が生じる。このように,地名は形式的な名称ではなく,社会的・身体性的な実体性を持ったものである。その観点から見ると,都道府県名の不変性の理由を考えるべきである。
    報告者:都道府県名には,郡名が使われたことが多かったが,明治維新以前における政治的な管理の範囲としての郡がどのような役割だったのか,わかる方がいれば教えていただきたい。
  • 会場6:江戸幕府は,律令制を復興する形で自己の正当化を図っていくわけなので,郡は実体的な意味を持っていたと思う。
    会場7:藩は幕府,郡・国は天皇制であり律令体制であるため,幕府は形式的には天皇から権力をもらっているわけであり,権力の二重性の中で政治をしていた。それは明治期になっても,当初は国名が使われており,県は藩を受け継いだものであった。しかし,その後都道府県が一般的になったので,国名は過去のものになっていった。
    会場8:日本の地名の中で,特定の人物が日本の国土計画を作る中で,重要性を持つ場所として地名を付ける事例はあるのか?
    報告者:江戸という地名は,江戸城が由来だが,それはもともと人名だったという話がある。

<司会所見>
地名の持つ公共性・政治性について議論をするために,成瀬氏に報告をいただいた。報告では,地名が持つ階層性について解説された上で,都道府県名がローカルな地名を起源としながらも,スケールを横断して広域な地理的実体を指し示す固有名として用いられ,同レベルのスケールで同様の地名が用いられないよう政治的な調整が働くことを指摘された。これに対してコメントにおいて市町村名決定に潜む政治性について指摘したことも踏まえて,討論では不変性をもつ都道府県名と可変性をもつ市町村名の比較から,地名決定に潜む政治性を中心に活発な議論が行われた。地名は,場所を示す公共性を持つものであり,地名決定に際しては十分な議論が必要と考えるが,今後の地名のあり方を検討する中で,地名研究と政治地理学との連携の有用性も示唆される有意義な研究会となった。

(参加者:25名,司会:畠山輝雄・前田洋介,記録:畠山輝雄)