政治地理研究部会 第9回研究会報告

今回の部会は、発表者・コメンテーター・出席者と問いを共有することを主な目的とした。たとえ発表者の範囲、個々の関心の範囲も限定されるとはいえ、いかに議論をより広範囲かつ共有可能なものへと翻訳できるかを模索する試みでもあった。それゆえ、コメンテーターには、そのきっかけを提供してもらうべく、本発表の主題に関して発表者によって公表されてきた論文などを参照しながら、事前にコメントを準備してもらった。

開催日 2014年5月17日(土)14:00-17:00
会場 たかつガーデン2階「鈴蘭」
大阪府大阪市天王寺区東高津町7-11
TEL: 06-6768-3911 http://www.takatsu.or.jp/access.html

<発表>
植民地主義の継続として創出される国境:アメリカ占領期・佐世保における「密航」朝鮮人収容所

<発表者>
福本 拓(宮崎産業経営大学)

本発表の目的は、非合法的越境に対して国境で発露する法的規範を超過した主権権力と、国内のマイノリティに行使される権力とが連動していることを示すことにある。これは、ただ国境を領土の縁にある1つの場・対象とするのではなく、むしろ国境から、国境を可能とする装置やコンフリクトから、国内の政治・社会空間を捉え返す問題意識であり、国内へ「国境」が転位・拡散する過程に注目する。

日本の国境の形成を考えるには、植民地主義の歴史・地理を考察しなければならない。植民地支配下で「日本臣民」として日本国民になることを強いられていた在日朝鮮人は、アメリカ占領期においても、日本政府によれば「日本国民」という立場であった。しかし、1947年の外国人登録令によって、かれらは事実上「外国人」としての登録と登録証の常時携帯を義務づけられる。ここから、「日本国民」ではあるが、退去強制の対象になりうるというねじれた状況が出現する。このダブルスタンダードによるグレーゾーンの渦中から、(ポスト)コロニアルの様相を帯びた主権、さらに国境は生起してくるのである。

戦前、朝鮮人よる外地から内地への許可なしの越境的移動は認められていなかったが、実際の対応は地方警察に一任という多分にアバウトな制度の下で、かれらは外地と内地を双方向的に横断する越境的生活圏を形成していた。しかし、アメリカ占領下では、許可のない越境的移動(日本から朝鮮、朝鮮から日本)は、「密航」として公的・組織的に厳しい取り締まりの対象となっていく。植民地支配の終焉に伴い、1946年春までに120万人の朝鮮人が帰還したが、かれらの再入国は、コレラ流行の懸念という理由で、占領当局によって禁止された。ここにおいて、「密航」は頻発することになり、またそれは取り締まり・送還の対象とされる。ピーク時の1946年には2万近い人びとが拘束されている。1947年以後は、「密航者」を認定するべく、外国人登録証のある一般帰還者と、登録証のない「密航者」とが差異化されていくことになった。朝鮮人の一般帰還者には合法的に越境的移動を認められるという点で、取り締まり措置は一見緩和されたようにもみえるが、これは以下で述べるように、日本国内の朝鮮人たちにより重大な影響を及ぼす統治テクノロジーであった。

ジョルジョ・アガンベンは、市民の国籍剥奪に関する新法とともに、収容所(=国境)は出現してくると述べているが、先に触れたように、同様の状況に置かれた朝鮮人を拘留・送還するべく、「密航」朝鮮人収容所は出現した。当初、かれらは仙崎・舞鶴・佐世保より送還されることになるが、1946年8月より、佐世保に一本化され、1950年5月までそれは継続した。朝鮮人を物理的に外部から隔絶し、逃亡する者には銃殺も許可されていた佐世保の収容所は、日本と朝鮮の間の空間的・社会的境界を確立すると同時に、日本国内の朝鮮人たちの間にも合法/不法という境界を走らせ、かれらを分断するものであった。一方で、外国人登録証を所持し、自らの「合法性」を証明できる一般帰還者と、送還される「密航者」との間に恣意的な手法で境界が設定されるわけであるが、他方で、この境界が日本国内にいる朝鮮人たちに内面化されていくのである。自らは「密航」によって迷惑を被る被害者であり、日本社会に身を置ける「よき朝鮮人」であると。こうして日本人に「同化させつつ差異化する」という植民地主義の営為が、戦後においても継続することになる。

現在の日本の主権・国境は、通常イメージされる国際社会の構成員である主権国家群がはっきりと存在しないアメリカ占領期に、(ポスト)コロニアルな時空のなかで形成されてきた。日本の政治・社会を構成しているこの現実は、発表者も関与する「多文化共生」をめぐる研究では不問にされたままである。まずはその前提にある日本人の市民権の構成過程が批判的に検討されなければならないだろう。


<コメント>
他の岬の裂け目:コスモポリタン化、「ポスト」植民地主義、市民性のマテリアリティ

<コメンテーター>
森 正人(三重大学)

発表内容は、一定の時代・地域に焦点を当てた非常に具体的なものである。しかし、発表内容は、ただ政治地理学や文化地理学に関わるというよりも、より広範囲な分野・視角からのアプローチを要する問いであることを指摘したい。昨今、日本政府は優秀な技術労働者の受入を目論んでいるが、現代世界についてドリーン・マッシーが論じたように、世界の「周縁」の未熟練労働者たちは、「中心」から自らの場所に留まるよう命じられるが、その国の国境は開放するよう命じられ、そこに「中心」からの人びとが侵入していく。ここには、コロニアリズムの陰がある。さらに現政府は、サンフランシスコ講和条約の発効した4月28日を日本の「主権回復の日」としているが、この日は日本に居住していた朝鮮人・台湾人などの旧植民地出身者が、強いられた日本国籍を剥奪された日でもある。それはデレク・グレゴリーの言う「コロニアルな健忘症」を示す例にほかならない。

このような問題意識からすれば、今回の発表内容は、朝鮮と日本とのコロニアルな結びつきのなかに、差異・境界を創出することによって、この結びつき自体がいかに管理されるのかという問題であると言える。エティエンヌ・バリバールが指摘するように、境界とは、差異が沈殿すると同時に分離・選別される場所である。「密航」朝鮮人を拘留・送還する佐世保の収容所は、まさしくこのような場所の1つだと言えよう。朝鮮と日本の織りなすコロニアルな空間に走る地理の境界、それと同時に引かれる人間の境界には、多種多様な統治テクノロジーが介在している。たとえば、戸籍制度がある。家族単位で登録簿を編成するこの制度は、国籍法が適用されなかった朝鮮における「日本臣民化」の装置であった。警察からの内地への旅行証明書発給には、朝鮮戸籍の謄本が必要とされ、自由な移動を制限するかたちでも機能していたわけである。

私の関心に沿ってさらに問いを広げるなら、コロニアルな結びつきの結果として生じる混血という問題もあった。コロニアルな数々の境界にとって、混血の生の処遇は、この結びつきを統治する上での重大な関心事であった。フクシマにおいても、災害・リスクを介した移動と情動の政治を通じて、「よき市民」、「よき日本人」なるものが提示され、主体化され、住民間に分断が生み出されている。エンジン・イシンは、発表者と同様に、市民性の構成過程においては、差異は外部に対してのみならず、内部にも生み出されることを指摘している。それゆえに、市民性をめぐる問いは、必然的に国境の内外を横断する問い、グローバルなものとして設定される。しかし、ここでのグローバリズムとは、世界の平準化ではなく、他者の徹底した再発見と承認を求めるコスモポリタン主義と深く関わるものである。それを体現するには、酒井直樹やジャック・デリダによって提示されるように、また発表者によって具体的に示されたように、日本人の市民性とその同一性に取り返しのつかないかたちで刻印されているコロニアリズムの陰を克服すべく、継続するコロニアリズムへの応答責任を負うことが不可欠なのである。


<質疑>

質疑では、コメントに沿うようなかたちで、出席者自身の研究領域に引きつけた上での発言が数多くみられた。まず、政治学や法学の知見を参照しながら、主権概念をいっそう精緻化する必要があるという意見が提出された。それは単純に個々の国家の政治空間に収まっているものではない。これは以下の質問・コメントにも深く関係する問いかけである。国境において、「密航」朝鮮人を取り締まり、拘留する当局の理由であるが、コレラなどの衛生上の理由であればわかりやすいが、共産主義者かどうかといった思想上の理由が大きく入ってくることにいかなる合理性があるのかという質問があった。これにはアメリカの影響が大きく作用しているということであった。アメリカ占領期から冷戦にかけて、日本の主権の成立・維持を考察する上では、アメリカを度外視することはできない。それは太平洋横断的に構成された主権レジームとみるべきなのかもしれない。

他方で、よりローカルな文脈をみれば、主権の地理はより複雑化・重層化するのかもしれない。出席者からは、東京には、朝鮮総連のおかげで恩恵があったと語る日本人たちが住む地域があるという意見が出されたし、発表者も応えたように、大阪においても、退去の対象となった朝鮮人の救援運動が、地域住民によって行われたこともある。発表者はしかし、救援運動の言説が、いかに当の朝鮮人が「よき住民」であるかを示すことに主眼を置くことで、結局、主権的なものは不問とされ、むしろ再生産されているのではないかと返答した。その一方で、このように日常的に在日朝鮮人、外国人との接点を有していない地域の住民たちが、コロニアルな問いをいかにして引き受けられるのかという問いかけもあった。返答は、その場所に「おける」関係においてはそうかもしれないが、その場所を「越える」別の場所との空間的結びつきを探ってみるなら、接点は見出せることもあるという内容であった。

また、植民地における法、特に刑法について問う発言もあった。たとえば、治安維持法によるキリスト教関係者への弾圧などは、内地よりも植民地において時間的に先行して行われてきたという。グローバル世界が、コロニアリズムの陰によって形成されたとすれば、植民地空間の法的条件は、ポストコロニアルな現在の主権レジームの編成を問う上でも示唆に富んだ指摘であると思われた。


<司会所見>

今回の部会では、発表・コメント・質疑を通じて、重要な問題意識が得られたのではないか。発表者が最後に述べたように、朝鮮人へ向けられているヘイト・スピーチに対する反論として、既成の人権概念を持ち出すことの不十分さ、コメンテーターが投げかけたポストコロニアルな応答責任、双方ともに、現在の社会を問うためには、国民国家体制に収斂してきた「構成された権力」の枠組を超過した地点において知的実践を開始せねばならないことを指摘している。戦後民主主義という一国の構成された空間を支えてきた、トランスナショナルな数々の緊張・暴力を感じ取り(沖縄などでは何十年も前から明瞭である)、それらを徹底的に問うこと、さらには、危機のなかで再定義される日本の市民性のあり様を根底から問うこと。これは「構成する権力」、構成する空間へと向けて問いを開くものだと言えよう。これこそが、発表者・コメンテーター・出席者が議論の俎上に載せた問いのように思える。蔓延するコロニアルな地理的想像力とは異なった反コロニアル、脱コロニアルな地理的想像力を、来たるべき想像力として引き受けていく集団的な取り組みが、不可欠であり、急を要するものであることを深く痛感させられた部会であった。

(出席者:14名、司会者・記録:北川眞也)