政治地理研究部会 第2回研究会報告

アメリカの囚人と兵士生成の政治地理―批判的国際関係論からのアプローチ―

開催日 2012年3月24日(土)午後2時~5時
会場 大学コンソーシアム大阪ルームA
大阪市北区梅田1-2-2-400 大阪駅前第2ビル4階キャンパスポート大阪 TEL:06-6344-9560

<趣旨>
政治地理学と批判的国際関係論は、特に英語圏で顕著だが、ときに用語や理論を共有し、共通のテーマや課題に取り組むようになってきた。こうした流れの中、政治地理学の動向にも注目しながら、国際関係論において研究をすすめる前田幸男氏を迎えて発表いただく。

<報告者>
前田幸男(大阪経済法科大)

本報告では,批判的国際関係論の立場から,アメリカ合衆国における監獄と軍事基地という2つの施設に着目する。目的は,現代の統治権力が,これらの空間の内外を横断するなかで,どのように「持たざる者たち」を,囚人・兵士として主体化=服従化させているかを明らかにすることである。

通常,主流派国際関係論においては,主権国家対主権国家の関係に焦点が当てられるため,主権国家の内部はブラックボックス化されてきた。しかし,批判的国際関係論は,その内部へと切れ込むことで,世界政治と日常生活とを関係づけるような問題設定を行い,マルチスケールのアプローチへと接近していくことになる。

報告者は数ある批判的国際関係論のアプローチから,主にミシェル・フーコーの統治性governmentality(報告者はそれを統治に際しての基本的な思考様式として捉え,「統治?心性govern-mentality」と呼ぶ)を援用する手法を採用する。(リベラルな)統治とは,「人口(人々の群れ)」を対象とするが,あくまでも個々人に権利を付与することで「自由」を通して,その集団の主体性や行為を望ましい方向へと導くことである。

アメリカにおける刑務所と軍事基地という2つの事例から,現代の統治性の働きを明らかにする。なぜなら,アメリカにおいては,人口の群れ,特に持たざる者たちを統治する術として,きまって言及される福祉welfareとワークウェアwork-fare(労働福祉)の外部で,プリズン・フェアprison-fare(刑務所福祉)とウォー・ウェアwar-fare(戦争福祉)が確立されているからである。

プリズン・フェアについては,2つの論点を提示できる。1つは,労働力としての囚人である。刑務所が産業として雇用創出の役割を担っていることが指摘されてきたが,それは刑務所を運営・管理する側の労働のみではなく,囚人自体にさえ当てはまるのである。囚人は刑務所内部で,旅行代理店業という非物質的労働を担うのみならず,刑務所の外部へと,安価な労働力としてリースされてもいる。このような事態は,刑務所の内外の区別が曖昧になっていることを含意する。

もう1つは,刑務所に空きができないよう囚人が生み出される過程である。ここでは,単に犯罪?刑罰といった法的レヴェルが問題なのではなく,日常生活における文化的想像力の備給というレヴェルと密接に関わっている。実は,警察のメンタルマップのなかで標的となりがちな,若いアフリカ系アメリカ人の男性は,テレビなどのメディアを通して,アメリカ社会に浸透する男性主義的・懲罰的な暴力を内在化したアイデンティティを形成しうる条件に置かれている。かれらは階級・人種の構造的暴力,メディアによる文化的暴力,警察からの露骨な直接的暴力に曝されるなかで,かれらは「囚人」となり,囚人は刑務所における/からの労働を通して「社会生活」を送ることになる。

こうした複合的な権力の働きは,軍事基地のケースにおいても顕著に見出される。ここでも2つのことを指摘できる。1つは,アメリカでの基地をはじめとする軍事的なるものは,非場所的なもの,特にメディアエンターテイメントの働きを通して生み出されていることである。軍隊の協力の下で制作される戦争映画やオンライン・シューティングゲーム,また体験型の従軍報道番組などを通して,視聴覚や触覚に対する刺激やそれへの反応を繰り返すことによって,日常生活のなかで兵士への欲望が醸成されていくのである。体験する「楽しみ」に対して積極的に主体は立ち上がり,戦争の「悲惨さ」について思考するような倫理的回路は,軍産メディアエンターテイメント複合体のなかでは著しく狭められている。

もう1つは,より地理的なもので,場所性に関わる。それは基地周辺の町における日常の対人関係や周囲の環境の相互作用のなかで,ゆっくりと血肉化していく主体形成である。基地のあるケンタッキー州フォートキャンベルでは,教会・学校・ボランティア活動など通じて,住民が「誠実さ」や「勤勉さ」を体現する兵士や退役軍人と交流する機会が制度化されることによって,兵士の供給を可能とする愛国的軍事主義が,自然なものとして身体化されているのである。

「自由な選択」を組み込んだ統治を通して,囚人や兵士という主体性が生み出されていくが,その統治過程においては,非場所性と場所性の絡まり合いが重要であった。政治地理学には,非場所性と向き合いつつも,場所性・身体性を回復させることも重要な課題となるのではないか。


 

<質疑応答と司会所見>

質疑応答は以下のようであった。

  • 問:刑務所を対象とするのが,なぜ国際関係論なのか。
    答:国際関係論には,国際秩序論と世界秩序論の区分けがある。ハイポリティックスをメインとする伝統的なアプローチは前者であるが,それだけとどまらない野心的な流れが後者として生み出されてきた。結果的に起きていることは,学問分野のアイデンティティの危機であり,同分野というだけでは共通の話題を見つけることが難しいことも多い。だから逆に政治地理学のほうが近く感じることも多い。
  • 問:刑務所の立地地域に補助金はあるのか。
    答:補助金があるかは知らないが,農村地域に雇用政策として刑務所は設置されることが多いのではないか。
  • 問:労働のために囚人を刑務所から外出させているが,脱走のリスクをどう管理するのか。実際,脱走はあるのか。
    答:囚人はチェーンギャングとして5人セットで外出する。重い鉄の鎖がある限り,脱走できないだろう。またGPSをつけているため,自由に動いたとしても居場所がわかる。カリフォルニアでの調査では「脱走はない」とはっきり言われた。
  • 問:戦争報道が一面的になっているなら,事実が報道されていないことを問題にする必要があるのではないか。アメリカのメディア研究はそれを論じているのか。
    答:批判的メディア研究ではなされていると思う。
  • 問:兵士になる人には,貧困という問題があるのではないか。
    答:大いに関係している。アメリカでは軍隊の福祉厚生は減らない。兵士の安定した供給のためには,あえて貧困層が用意されているようにさえみえる。
  • 問:とり上げられた町の軍事との結びつきを,地域性として扱ったのか。もしそうなら,その地域性を否定することはできないのでは。
    答:これは平和研究にもコミットしている私のスタンスでもある。研究にはその人の価値観が出る。こうした現象を比較政治研究として扱う人もいるし,平和研究として扱う人もいる。またヴァーチャル性との関係のなかで,地域をみる必要もあろう。
  • 問:非場所性に対して場所性や身体性を回復させるという議論には,歴史的には本質性,真性性,さらには全体主義と結びつくような危うさも抱えているが。
    答:アメリカをみれば,オキュパイ・ウォール・ストリートもあれば,ティーパーティーもある。人の群れは有象無象でいかようにも変わる。こうしたカウンター・グラスルーツの運動が,どういう契機で動いているのかを日常レヴェルでみることが重要で,ただ身体性を回復できればよいとうことではない。

軍事基地と刑務所をめぐる質疑・議論が,労働や福祉へ,文化,メディア,情動,そしてヴァーチャル性へ,さらにはローカルかつグローバルな問題系へと展開したさまは,現代社会の人々の生の形式,場所や地域の生活様式を一面的に切り取ることの不可能性を浮き彫りにしている。様々な領野が連動・連結する複合体と化す現実に立ち向かうことで,政治地理学の知的営為もいっそう複合化していくのではないかと予感させる報告・議論であった。

(出席者9名,司会・記録:北川眞也)